歴史探訪 |
|
TOPへ ふるさと探訪記へ |
南大隅町歴史探訪
「南大隅町の文化財」
|
|
|
|
|
諏訪宇都の板碑 |
諏訪宇都の板碑 |
諏訪宇都の板碑 <県指定史跡 昭和46年5月30日> |
この地は川南諏訪上宇都で岩林寺(真言宗)の跡地である。正応六年(1293)2月11日の紀年銘がある。本県最古のものである。高さはさほど高くなく安定した梯型碑で山形は高すぎずおち着き二条の横線も正常碑身の上判部にキリーク種子(しゅじ)を薬研彫りしその下に 紀年銘がある。紀年の左右に一行ずつの銘痕があるが摩滅のため判読不能種子は阿弥陀と解される。すぐ東側の総高170センチ永仁2年銘の板碑と小型の板碑二基と共に禰寝四代清親時代の建立である。初代清重二代清忠三代清綱の供養碑と推定される。(現地説明案内板より)
|
諏訪宇都の板碑現況と案内板 |
現地写真 |
諏訪宇都の板碑 |
東側の総高170センチ永仁2年銘の板碑と小型の板碑二基 |
|
西郷南州翁宿泊の家 <町指定文化財平成3年11月5日指定> |
西郷南州翁宿泊の家 |
征韓論に破れた南州翁が出猟中、私学校徒決起の報を得て、急遽帰鹿された最終の地が小根占(根占町)である。屋根が瓦に葺き替えられているがこの家には西郷が書いた掛け軸や愛用の火鉢、きゅうす、石風呂、顔を洗った手水鉢、さらに西郷の猟銃が暴発したときの弾の跡が残っている。
|
現地案内板
現地写真 |
|
|
西郷南州翁宿泊の家 |
家の周辺と部屋に残る弾痕 |
手水鉢 |
猟銃が暴発したときの弾の跡 |
|
祢寝氏累代の墓(5代~) |
祢寝氏累代の墓 |
祢寝5代清治から16代重長までと夫人の墓20基がある。供養塔は五輪塔型と宝篋印塔(ほうきょういんとう)型である。祢寝5代清治から16代重長までと夫人の墓20基がある。これらの墓は祢寝氏24代小松清香が祢寝氏から小松姓に改めた時、宝暦年間佐多の郡にある4代までの墓と共にこの地に先祖の墓碑を修造したものである。川南北之口墓地内にあり、付近は家累代の菩提寺である宝屋寺跡である。 |
現地写真 |
|
|
|
|
辺田二川のヘゴ <国指定(天然記念物)文化財> |
辺田二川のヘゴ |
南大隅町辺田二川のヘゴは、木生シダとも呼び、古生シダの形態をもつ貴重な植物である。肝付町内之浦、笠沙などのヘゴとともに本土で最初に確認された自生北限地である。大正15年ヘゴの自生地北限として国指定(天然記念物)文化財指定。 |
|
現地写真 |
大正15年国指定(天然記念物)の辺田二川のヘゴ |
|
辺田二川製鉄炉跡 <町指定文化財> |
辺田二川製鉄炉跡 |
町内の二川、隅屋、柿迫、野尻野集落を中心に付近一帯には多量の鉄さい(カナクソ)が多く見られ、戦前戦後の鉄不足時代に原材料として北九州方面に盛んに搬出された。炉跡が残されている二川の製鉄炉跡は江戸時代中期頃からの日本で唯一の製鉄用の炉跡である。高さ2m近くにある川の水を利用した水車で送風し炭火をおこした水車式製鉄炉で砂鉄から素鉄を製造していたと考えられる。 |
現地写真 |
|
|
|
二川の製鉄炉跡 |
|
佐多郡の中世古石塔群 |
郡の中世古石塔群 |
佐多郡の中世古石塔群:この石塔群のうち玉垣に囲まれた石塔は、祢寝氏4代の石塔(初代清重、二代清忠、三代清綱、四代清親とその夫人たちの墓塔)である。。この石塔群は祢寝氏二十四代清香が宝暦3年(1753)に「わが祖先の墓」として修造したものである。 |
現地写真 |
郡の中世古跡塔群 |
現地写真石塔文字 |
|
|
|
佐多馬籠の石塔石像群 |
馬籠の石塔石像群 |
馬籠の石塔石像群は、島津藩の真言禁制によって公然と真宗を信じることができなかったため、馬込、郡地区の信徒がここに集まって隠密に真宗を信じ念仏を唱えていたとも伝えられている。ここにある石塔の中でも三層塔は当地方のものでは一流とされている。 |
案内標柱と石塔 |
案内標柱 |
石塔 |
現地写真 |
|
|
|
馬籠の石塔石像群 |
|
辺田原の台場跡 |
原の台場 |
辺田海岸に高さ3m、幅4mの花崗岩で築いた石垣が海に面して延長60mにわたって構築してある。中央に砲身を構えた凹部が二つ残っている。砲台は、江戸時代末期に藩内の沿岸に築かれた砲台で、台場公園には薩英戦争のなごりを残す砲台(レプリカ)が復元展示されていて、通称台場とよばれ、当時の原型をとどめる県下唯一の貴重な史跡となっている。 |
案内標柱と砲台 |
案内標柱 |
レプリカ砲台 |
現地写真 |
砲台跡の凹部と復元展示砲台(レプリカ) |
|
諏訪神社の並列鳥居 |
諏訪神社鳥居 |
諏訪神社は根占の俗名「愛宕山」の西の麓にあり、鳥居が並列して立っている。この並列鳥居は全国でもまれにみる貴重な鳥居とされる。 |
現地写真 |
諏訪神社並列鳥居 |
境内の植物 |
境内脇のヘゴとオオタニワタリの着生
|
|
鬼山神社の暖帯林と祢寝重長公木像 |
鬼丸神社の暖帯林と重長の木像 |
川北久保の鬼丸神社一帯の山林1ヘクタールほどの範囲内で山全体が暖帯林におおわれている。ほとんど人工が加わっておらず狭いながらこのような低地の里山にこれだけの森が保存されているところはあまり見られない。樹種はムクロジの古木、アコウ、イタジイ等の古木に混じってタブ、クスンキ、マタバシイ等の大木がある。また戦国乱世の時代に活躍した祢寝16代重長の木像が神社境内に安置されている。 |
現地案内標柱 |
|
|
|
鬼山の暖帯林と祢寝16代重長の木像説明板 |
現地アコウの古木写真 |
アコウの古木 |
|
久保の田の神 |
久保の田の神 |
久保の田の神:台に団子と餅を彫刻、右手に杓子(しゃくし)、左手に摺子木(すりこぎ)を持つ。高さ147cmの堂々とした田の神で 亨保16年(1731)9月8日に建立。大隅半島では最も古く、県下では19番目に古い。県指定文化財(昭和43年12月)、川北鬼丸神社参道の端にある。
|
久保の田の神写真 |
大隅半島ではもっとも古い田の神舞型 |
|
園林寺(清浄山)跡・仁王像 |
園林寺跡 |
曹洞宗として開基はは正安2年(1300年)ともいわれているが、応永年間の創建ともされる。創建当時から現在の南隅地域の文教の中心として、本地域の文教、学問、芸術の発展に貢献している。現在は諏訪上の墓地になっているが、無傷の仁王像2基と供養碑が残されている。 |
園林寺跡
二体の仁王像 |
|
|
園林寺跡 仁王像(阿・吽) |
無傷の吽形仁王像写真 |
無傷の吽形仁王像
|
注 |
PS:開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として寺院の入口の門の左右に安置することが多い。阿形像は怒りの表情を、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表し、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しているとされる。 |
|
南蛮大楠 |
南蛮大楠 |
南蛮大楠:南蛮船係留の大クスは、雄川の河口から上流百約500m、塩入橋の北岸に立つ。このクスは、幹廻り9.8m、樹高17mの大楠で、地元では塩入橋の「千年大クス」とか「南蛮船係留の大クス」とも呼ばれる。この大クスは、南大隅町根占の歴史を長く見守ってきた老木で、南蛮貿易の遺跡として、町の指定文化財(天然記念物)となっている。
|
案内板 |
案内板 |
現地写真 |
南蛮船係留の大楠
|
|
八島太郎 |
八島太郎 |
八島太郎作品の原風景を歩く。八島太郎は日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。鹿児島県肝属郡南大隅町出身。今回、絵本に描かれている八島文学の原風景を八島太郎の生誕地南大隅町を散策した。
|
絵本「からすたろう」と絵本舞台の写真 |
|
|
絵本「からすたろう」の舞台を訪ねる。 |
絵本の舞台神山小学校の写真 |
絵本「からすたろう」の舞台神山小学校 |
|
根占書籍館 |
根占書籍館 |
根占書籍館は1883年(明治16)磯長得三の尽力によって創立された。鹿児島県内で最も古い公共図書館で全国で四番目、私立図書館としては最初のものといわれる。
|
現地写真 |
|
|
佐多旧薬園 |
佐多旧薬園 |
佐多旧薬園(きゅうやくえん)は旧島津藩の薬園跡で、この園内にはリュウガン、レイシ、オオバゴムノキ、アカテツ、ガジュマル等、当時としては珍しい植物や薬草が栽培された場所で国指定の史跡となっている。
佐多旧薬園 |
現地写真 |
|
|
高木城跡 |
高木城 |
佐多地方は平安時代後期頃から建部一族佐多氏の領するところであり、この高木城は鎌倉前期ごろ親清及びその養子親綱などが居城したとされる。 |
高木城標柱と遠景 |
|
|
案内標柱と 高木城跡遠景 |
|
佐多の岬祭り |
御崎祭り |
岬神社にまつわる祭りは御崎祭りと呼ばれ、春を告げる祭りとして知られ、二日間にわたって執り行われる。一日目の浜下りは、七つの集落・七浦を巡る巡幸で御崎神社の妹神がご神幸の神興に乗って、20余km離れた郡の近津宮神社にいる「姉宮」に新年の挨拶で会いに行く物語。その日は会えず、近津宮神社の仮宮で一晩過ごし、翌日会うのだという。二日目は近津宮神社で打植祭り、神舞が奉納される。<2005年4月に鹿児島県の無形民俗文化財に指定> more |
岬神社鳥居と中津宮神社社殿 |
岬神社鳥居 |
中津宮神社社殿 |
岬祭り写真 |
|
|
岬祭り二日目 近津宮神社での祭りと市(2015.2.15) |
|
ソテツ自生地 |
ソテツ自生地 |
田尻漁港のある裏山は断崖の絶壁が続き、岩にからみつくように国の特別天然記念物のソテツが自生する。田尻海岸のソテツ群は、砂地や海岸近くの絶壁近くに多く、佐多岬一帯はほとんどが海岸近くの絶壁に自生している。ソテツ自生地の北限地帯として旧山川町、旧坊津町、旧佐多町、旧内之浦町の一角の4カ所が指定を受けている。内之浦津代半島火崎のソテツ |
案内標柱と現地写真 |
|
|
ソテツ自生地案内標柱と断崖に自生するソテツ |
|
現地自生ソテツ写真 |
田尻港背後の山に自生するソテツ
|
後書き |
備考 |
歴史探訪
南大隅町文化財 |
歴史探訪・南大隅町文化財作成に当たって |
ふるさと探訪活動の写真の整理と備忘録を兼ねてこのサイトを作成しました。作成にあたっては個人の探訪活動の他に団体が主催した「史跡巡りと町歩き」(2011年2月26日)、南大隅町ふるさと探訪(2014年1月26日)、南大隅町検定セミナー・現地研修史跡巡り(2015年2月15日)等も参考にして作成しています。南大隅町の文化財は上記以外にもたくさんのすばらしい文化財がありますが今後、探訪を重ねながら補充・補完につとめてまいります。ご意見・感想などいただけるとうれしいです。最後までご覧いただきありがとうございました。
|
南大隅の風景
自然・歴史 |
南大隅の風景「自然・歴史」 |
|