白浜 |
三段壁 |
橋杭岩 |

白浜は南紀白浜とも呼ばれ、和歌山県南西部の白浜温泉を中心にした観光の町で、付近の海岸には白良浜、円月島、千畳敷、三段壁などの名勝地があった。「白浜」の呼び名のもとになった「白良浜(しららはま)」はまぶしいほど白く輝く壮大な白砂の海岸が640mにわたって続く。珪酸を含む白いサラサラの砂と椰子の葉パラソルが南国のトロピカルムードを創りだし関西有数の海水浴場になっている。。2006年環境省による快水浴場百選のほか、1996年に日本の渚百選に選定。 |

三段壁(さんだんべき)は千畳敷に続く南の海に直立する高さが40から50m、長さ2kmにも及ぶ巨大な屏風岸壁である。昔、魚の群れや船を見つける監視場(見段・見壇みだん)があり、これが転じて三段壁と呼ばれるようになったという。エレベーターで地中を降りると、200mに及ぶ洞窟の通路内には、弁財天が祀られ、史料に基づいて再現された熊野水軍番所小屋や、鉛の採掘跡があり、波の打ち寄せる潮吹き岩が迫力ある光景を醸し出していた。 |

橋杭岩(はしぐいいわ)は、串本から対岸の紀伊大島方向へ大小約40の奇岩が南西一列におよそ850mにわたって列を成してそそり立っていた。規則的な並び方が橋の杭のように見えることから橋杭岩と名付けられたという。この柱状の巨石群は石英斑岩の岩脈が海食を受け、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩だけが杭状に残されたものである(下記追記)。橋杭岩を通して見る朝日はとても美しく日本の朝日百選に認定。吉野熊野公園地域にあり、国の名勝天然記念物に指定されている。 |
大門坂 |
熊野那智大社・青岸渡寺 |
那智の滝 |

大門坂(だいもんざか)は、和歌山県の那智勝浦町にある世界遺産=熊野古道の中辺路の一部で古来よりその面影をもっとも色濃く残している場所だ。古道に一歩足を踏み入れると樹齢800年の夫婦杉や楠の巨木、樹齢300年以上の杉の木立が立ち並び、苔むした古道がかつての熊野古道の雰囲気を醸し出していた。古道の途中には熊野参詣道中辺路最後の王子社「多富気王子(たふけおうじ)」や通行税をとったとされる「十一文関所跡の史跡」等が当時の面影をしのばせていた。
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熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、青岸渡寺(せいがんとじ)は、神社と寺院が隣接して建つという熊野三山中もっとも神仏習合時代の名残りを残す熊野信仰の中心地だ。那智山青岸渡寺は、古くは如意輪堂と呼ばれ天台宗の寺院で西国三十三所第一番札所で最盛期には7寺36坊を有し、熊野修験の一大本拠地となっており、現在も参拝客や観光客でにぎわう。明治時代の廃仏毀釈で熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、ここ熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに青岸渡寺として復興した。 |

那智川に懸かる「 那智の滝」は那智大社の信仰の起源で、太古から神として崇められ、飛瀧神社のご神体であるとされる。原生林が繁茂する山中には、総称〈那智四十八滝〉があり、一般に那智滝といえばこのうち一ノ滝のことで、「那智大滝」「御滝」「三筋の滝」とも呼ばれ多くの異名を持つ。那智山中の清らかな水を集めて毎秒1トンの水が幅13m、高さ133mから直瀑となって流れ落ちる光景は絶景で日本三名瀑/神瀑に数えられている。1972年、「那智大滝〈なちのおおたき)」で国の名勝に指定。2004年4月、,「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。 |
熊野本宮大社 |
高野山奥の院 |
谷瀬の吊り橋 |

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熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は全国の熊野神社の総本宮にあたる神社で熊野三山のひとつである。かつて熊野川の中州に鎮座しており、明治22年(1889年)8月の洪水で流され、流失を逃れた社殿が現在の場所日に移された。神社入り口の鳥居をくぐり158段の階段を上りきると広い境内には拝殿と神門があり、古色ゆかしい雰囲気を漂わせていた。境内一角に立てられた熊野のシンボルマークにもなっている八咫烏(ヤタガラス)の旗が目をひいた。神門をくぐると奥に檜皮葺きの古色蒼然とした御本殿(上四社)が建っていた。巨樹探索では特記するほどの巨樹はなかったが「葉書」の語源となった「たらようの木」と出会えて幸運だった。境内一角の和泉式部の祈願搭や宝物殿の重要文化財等が熊野本宮大社の古い歴史と伝統を感じさせた。 |
高 野山は、約1200年前の816(弘仁7)年に弘法大師空海が開いた真言密教の修行道場であり、高野山真言宗の総本山である。真言宗開祖である弘法大師空海が眠る奥の院は御入定のあと、その弟子たちによって、建てられた。高野山奥の院へは一の橋、中の橋の2つの参詣ルートがあり、今回は最短とされる中の橋ルートを選択。奥の院まで続く参道は樹齢数百年を越える杉木立が続き、数多くの歴史にゆかりのある人物の墓石や供養搭、祈念碑、慰霊碑が霊的な雰囲気をかもし出していた。弘法大師御廟橋に至る奥の院参道沿いには番号のついた特別母樹林の札が付けられていた。特別母樹林とは樹齢数百年の樹形材質とともに優れた樹木を保存し、優良な種子樹木を保存する目的で農林水産大臣が法律に基づき指定された樹木である。
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谷瀬の吊り橋(たにせのつりばし)は、十津川(熊野川)に架かる長さ297.7m、高さ54mの鉄線の吊り橋としては日本最長を誇る吊り橋だ。十津川村上野地(うえのじ)と対岸の谷瀬(たにせ)を結ぶ生活道路として1954年に架橋された。十津川村の人気観光スポットのひとつとして訪れる人が多い。バランスをとりながらの橋上空中散歩はスリル満点だった。谷瀬吊り橋は村民出資により建設された生活用吊り橋で、上野地と谷瀬を結ぶ生活用の橋として、昭和29年(1954)に架けられた。現在も生活道路や通学路として利用されている。地元の人や郵便配達員などは現在も生活道路として自転車やバイクで平気で渡るという。もちろん、一般の観光客は自転車やバイク等の通行は禁止されており、安全上から20名以上の通行は禁止されている。GWやお盆など混雑するときは一方通行になるという。
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