伊勢・志摩、古都奈良社寺探訪
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「東大寺→奈良公園散策→興福寺」
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東大寺探訪 |
東大寺 |
多くの参拝客や観光客でにぎわう東大寺金堂(大仏殿) |
「奈良の大仏」で有名な東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。奈良時代(8世紀)、「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、聖武天皇が国力を尽くし,日本の総国分寺として建立した。奈良時代には大仏殿のほか、七重塔を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、度々の兵火で多くの建物を焼失した。幾度かの復興により、現在、宝永6年(1709)再建の大仏殿をはじめ、転害門(てがいもん)、法華堂、正倉院などの建造物や創建当時の不空絹索観音、日光・月光菩薩像等、貴重な美術品・文化財が残る。東大寺は、日本の文化に大きな影響を与えた寺院であり、1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録された。今回の奈良寺院探訪の「東大寺」編では、東大寺金堂内の文化財を中心に、境内の重要建築物や文化財を見学した。す。 |
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大仏殿 の文化財 |
東大寺大仏殿・金堂内に安置されている文化財 |
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東大寺大仏殿には、本尊の盧舎那仏坐像(大仏)のほか、大仏の脇侍として安置されている如意輪観音・虚空蔵菩薩坐像のほか広目天・多門天仏像、金銅八角燈籠等の文化財があり、見学・参拝できる文化財となっていた。 |
東大寺金堂 |
東大寺金堂(大仏殿)<国宝> |
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東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、奈良県奈良市の東大寺にある仏堂で東大寺の本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置し、境内で最大の建物である。正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られる。
現在の建物は1691年(元禄4年)に完成、1709年(宝永6年)に落慶したもので、日本の国宝に指定されている。 現存する大仏殿は、正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっているという。 |
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東大寺盧舎那仏像
(奈良の大仏) |
東大寺盧舎那仏像 (とうだいじるしゃなぶつぞう)<国宝> |
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)で、一般に奈良の大仏として知られる。現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルある。中世、近世に焼損し体部は大部分が鎌倉時代、頭部は江戸時代の補修であるが台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分が残っており、天平時代の造形遺品として貴重である。大仏は昭和33年(1958年)2月8日、「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。
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虚空蔵菩薩 |
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) <重文> |
虚空蔵菩薩は、虚空のように広大無辺な福徳と知恵によって人々を救うという菩薩として信仰されている。大仏殿の虚空菩薩は大仏にむかって左側に安置されており、金色に輝く虚空蔵菩薩坐像だ。高さは7.1mあり、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作された仏像の一つである。1752年(宝暦2年)に完成し、江戸寺だの代表的な仏像彫刻で国の重要文化財に指定されている。
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如意輪観音 |
如意輪観音菩薩像<重文> |
如意輪観音は、 全ての願いを叶える「如意宝珠」と煩悩を打ち砕く「法輪」を持つことから、この世に生を受けた全ての衆生に利益を与える菩薩として信仰されている。盧舎那仏に向かって右側に大仏の脇仏として安置されている。大仏殿の如意輪観音(高さ7.22メートル)は、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作された一連の仏像の一つで1738年頃(元文3年頃)に完成した。江戸時代の代表的な仏教彫刻とされ重要文化財に指定されている。
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虚空蔵菩薩と 如意輪観音菩薩についての追記 |
虚空蔵菩薩と如意輪観音菩薩は盧舎那仏(大仏)の左右に脇侍として安置され、これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成とされる。 |
四天王の一人
広目天像
(金堂西北隅) |
広目天(こうもくてん) |
四天王の一人,広目天は、右手に筆、左手に巻物を携え、甲冑を着て眼光するどい眼差をしていた。広目天は、 「通常ならざる目を持つ者」 の意を持つそうだが、千里の遠くをも見通し、あの眼光するだい眼差し人間の心の奥の闇まで凝視するのかも知れない。 |
追記:広目天の持ち物は、右手に筆、左手に巻物を携える姿で表現されるがこれは主に天平時代のもので、平安時代以後は徐々に別の持物を持つようになったという。 江戸時代復興期の像である
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四天王の一人
多門天像
(金堂東北隅) |
多聞天(たもんてん) |
多聞天も四天王の一人で単体で祀られる時は「毘沙門天」と言われ、右手に宝塔(仏塔)を乗せ、左手には宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)を持つ姿となっていた。江戸時代復興期の像である。 |
追記:四天王とは、須弥山の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕える四人の武将の姿をした神様で、広目天、増長天、持国天、多聞天の四人で、仏法に帰依する人々を守護する法神。
堂内北西と北東の隅には四天王のうちの広目天像と多聞天像を安置するが四天王のうち残りの2体(持国天、増長天)は未完成に終わり、両像の頭部のみが大仏殿内に置かれているという。 |
金銅八角燈籠 |
金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう) <国宝> |
大仏殿の正面に立つ燈籠
金銅八角燈籠(国宝 |
金銅八角燈籠は、大仏殿の正面に立つ燈籠で 総高は約4.6m、現在わが国に残る銅燈籠で、最大最古のもので、天平時代の面影を今に伝える貴重な文化財1956年、国宝に指定。八面の火袋(灯籠の火をともす所)は、羽目板になっており、楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)と呼ばれる天女像の浮き彫り(4面)がある。他の4面は、扉になっており、唐獅子が浮き彫りされている。
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南 大 門 |
南大門(なんだいもん) |
南大門 |
重層入母屋造りの門で、高さは25メートルもあるわが国最大の山門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したとされる。門の両脇には、鎌倉時代の運慶と快慶が18人の弟子とともに72日かけて彫り上げた木像金剛力士像が立つ。近年大修理がされ.、平成5年秋に落慶法要が行われた。<国宝建造物> |
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鏡 池 |
東大寺鏡池 |
鏡池に映る中門と大仏殿 |
鏡池は、東大寺の大仏殿と中門の南にある池の名称で 水面に映る中門と大仏殿の姿が美しい。この池には県の天然記念物指定の鯉科の淡水魚「ワタカ」が生息していると言う。 |
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奈良公園散策 |
奈良公園散策 |
奈良公園散策図 |
奈良国立博物館から五分ほど歩いた公園内を散策した、奈良公園といえば「シカ」、境内や公園内のいたる所で目にした。宮島のシカもそうだったが人間とシカの共存の問題は今後の課題になりそうだ。公園内を歩くと片岡梅林のすぐ横にかやぶき屋根で四方の板に丸い窓がくりぬかれた円窓亭があった。すぐ近くの鶯池には浮見堂があり、池に幻想的な六角形の屋根の影を落としていた。樹木散策途中、ムクロジの大木の幹の途中から数本の竹が生えている不思議な光景に出合った。 |
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奈良公園のシカ |
奈良公園のシカ |
道路にまで出没するシカ
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奈良のマスコット的存在である奈良公園のシカは、春日大社の神使として手厚く保護され、「奈良のシカ」の名称で国の天然記念物にも指定されている、現在、1200頭程が生息しているが乗用車等車両との衝突・接触事故も増えているという。人間がシカに危害を与える事件もあるという。人に慣れているシカは本来野生動物だ。園内には、「鹿の飛び出し注意」、「エサを勝手にあたえないでください」と書いたシカに関する標識を目にした。奈良公園の人間とシカの共存問題は永久的な課題なのかもしれない。 |
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円窓亭 |
円形の窓が特徴の円窓亭(重要文化財) |
円形の窓が特徴の円窓亭 |
鎌倉時代に建てられたこの建物は宝形造りでかやぶき、四方の板に丸い窓がくりぬかれていて非常に珍しい形をしていた。元々春日大社のお経の倉庫で明治27年に現在の場所に移築された。夜はライトアップされて独特の雰囲気を醸し出すという。<国の重要文化財>
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浮見堂 |
浮見堂 |
鷺池水上に立つ八角堂形式の浮見堂 |
浮見堂は、き奈良公園の鷺(さぎ)池に張り出して水上に立つ八角堂形式(六角形)の休憩施設で水面に写る姿が幻想的で美しかった。大正5年に休息所として作られたが老朽化して、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって現在の浮見堂が完成した。奈良の浮見堂は、近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂に因んで「御」を「見」に変えて名付けられたという。 |
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洞水門 |
洞水門と水琴窟(すいきんくつ) |
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奈良公園内の鷲池に浮かぶ浮見堂のすぐ近くに「洞水門」があり、水琴窟(すいきんくつ)を楽しんだ。水琴窟は、江戸時代中期から明治にかけて水を利用した日本庭園における装飾の一つだ。地中に作りだした空洞の中に手水鉢の水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで琴のような音色を奏でることから「水琴窟」と呼ばれている。浮見堂の浮かぶ鷲池の風景を眺めながら水が奏でる琴の音を聞きながら、しばし、贅沢な時間を過ごした。
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浮見堂の浮かぶ鷺池の夕景と水琴窟 |
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奈良公園の不思議な木 |
奈良公園樹木散策
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奈良公園の不思議な木
ムクロジ |
「これなんの木」奈良公園で出合った不思議な木 |
木の幹の途中から竹が生えている、何て不思議な木なんだ。一瞬立ち止まって自分の目を疑った。この木は「ムクロジ」という木で昔、この実を使って羽根突きの玉に使った記憶がある。 果皮にはサポニンが含まれ石鹸としても使っていた。実は数珠にも使うらしいから春日大社の周りに植えられている理由がわかった。このムクロジの幹に竹が生えている秘密を探った。 |
奈良公園のムクロジ:樹高15.5m, 目通し幹周り4.58m. |
樹上の幹の分かれ目から竹がニョキニョキ |
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ムクロジの木に竹が生える秘密とは |
ムクロジの木に竹が生える秘密とは |
この木は「ムクロジ」という木で昔、この実を使って羽根突きの玉に使った記憶がある。 果皮にはサポニンが含まれ石鹸としても使っていたらしい。実は数珠にも使うらしいから春日大社の周りに植えられている理由がわかる。本題の木の幹の途中から竹が伸びる秘密だがこのムクロジの幹の中心部は空洞になっていてここを突き抜けて竹が伸びたらしい。一帯は竹の生える環境なのだが「シカ」がタケノコを食べてしまうのだという。 |
東大寺から興福寺へ 興福寺の文化遺産 |
興福寺探訪 |
興福寺 |
興福寺と文化遺産 |
興福寺(こうふくじ)は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院で、南都七大寺の一つに数えられる。山城国山科に創建の山階寺を起源とし、飛鳥からさらに和銅3年(710)藤原不比等が奈良に移して興福寺と名付けられた。境内には三重の等、五重の塔を始め、東金堂、北円堂の建造物や阿修羅像などの文化財を安置した国宝館がある。南円堂は西国三十三所第9番札所である。探訪時、境内中心の発掘が進められ、中金堂、南大門が再建整備中であった。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 |
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東金堂 |
東金堂 <国宝> |
東金堂と文化財 |
興福寺境内の東にある東金堂(とうこんどう)は、726年(神亀3年)に聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願い建立した。何度かの被災にあい、現在の建物は
室町時代の1415(応永22)年に建てられた。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式で堂内には、銅造薬師三尊像(重文)、木造維摩居士坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)が安置されている。 |
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国宝館 |
国宝館 |
国宝館建物 |
旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた鉄筋コンクリートで造られた寺院建築風で昭和34年(1959)年に完成した。文化財収蔵・展示施設で探訪時、オープン展示の阿修羅展が開かれていた。内部には阿修羅像(国宝)、仏頭(国宝)など白鳳〜鎌倉時代の仏像等奈良時代からの彫刻、絵画、書籍、工芸、考古資料などの寺宝が収蔵されている。 |
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三重塔 |
三重塔<国宝> |
優雅な雰囲気を醸し出す三重塔 |
三重塔は、崇徳天皇の中宮中宮皇嘉門院聖子が発願し、1143年に創建されたが、1180年に消失したという。その後鎌倉時代に再建され現在に至って「いる。伽藍の中では、北円堂と並んで最も古建物とされる。高さが19,1mあり、初層内部には薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来が安置され、柱や天井には極彩色の文様が描かれている。 |
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五重塔 |
五重塔<国宝> |
古都奈良を象徴する五重塔 |
五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。度々の火災で現存の塔は応永33年(1426年)頃に再建された。高さは、50.1メートルあり、木造塔としては京都の東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。初層の四方に、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。 |
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北円堂 |
北円堂<国宝> |
日本にある八角円堂のうち、最も美しいとされる興福寺の北円堂 |
北円堂は、長屋王が藤原不比等の菩提のため養老5年(721)8月に創建した。創建後二度火災にあい、現在の建物は、1120年に再建され現在、三重の塔とともに興福寺に残る最も古建物のひとつとされる。北円堂の仏像は、中央に本尊弥勒仏坐像、その左右に脇侍の法苑林菩薩坐像と大妙相菩薩坐像を安置し本尊の後方左右には無著・世親立像、柱の隅には四天王立像4体が各々外側を向いて立つ。弥勒仏、無著、世親の3体は鎌倉復興期、運慶一門の作。 |
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興福寺境内案内図
(現地境内案内板より) |
興福寺境内案内図 |
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藤原不比等の私邸だったという「法華寺」へ |
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