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ふるさと情報室 ふるさと探訪記 |
・・鹿児島市加治屋町 |
幕末・明治にかけて活躍した加治屋町にある歴史ロードと維新ふるさと館を散策
<初回探訪 2016/2/11 最新探訪 2017/3/19 最終更新日2017./3/24> |
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歴史ロード「維新ふるさとの道」 |
歴史ロード |
西郷隆盛や大久保利通など幕末から明治維新にかけて活躍した人物を輩出した加治屋町甲突川沿いの緑地帯に整備された歴史散策スポットである。歴史ロードには再現された下級武士の屋敷や島津日新公いろは歌の広場、近代の夜明けをイメージした薩摩と世界の交流をイメージした円形広場などがある。 |
維新ロードゲート |
歴史ロード「維新ふるさとの道」入口 |
歴史ロード「維新ふるさとの道」ゲート |
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島津日新公いろは歌47首を紹介するいろは歌の広場 |
いろは歌の広場 |
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再現された加治屋町下級武士の屋敷と生活 |
二つ屋下級武士の屋敷 |
鹿児島から離れた甲突川|沿いの下加,洽屋町辺りは,幕末から明治にかけて恬躍した西郷隆盛ら下級武士の居住地であった。下加,冶屋町には70数戸の下級武士が居住おり,当時の屋敷は二つ屋と呼ばれる住居形態でした。二つ家とは座敷を中心とした格式を重んじる「おもて」と台所など日常生活のための「なかえ」とが樋の間でっながり,屋根は二つでありながら部屋はひと続きになっているという特徴を持つ。当時の屋根は藁や萱で葺いたものが主で・,一部瓦を使用1たものや板葺などもあったたと思われる。 当時の下級武士の生活は質素なもので、米を常食することもてきず、内職として拿の骨作りや特産物の櫛作りや、農作業の手伝いなどをして食いつないだという。<案内板より> |
二つ屋とよばれる住居形態の下級武士の屋敷 |
「おもて」 |
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座敷を中心とした「おもて」 |
「なかえ」外観 |
なかえ |
「なかえ」屋内風景 |
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台所など日常生活のための「なかえ」 |
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西郷隆盛と大久保利通 |
西郷隆盛
誕生の地 |
西郷隆盛誕生の地 |
西郷隆盛は、文政10年、1827年に現在の鹿児島市加治屋町に生まれた。 ここ加治屋町は、幕末から明治にかけて活躍した多くの人の生誕地でもある。 |
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西郷隆盛紹介看板 |
静かな佇まいの公園の中に、「西郷隆盛誕生の地」と書かれた石碑が立っている。 |
誕生地敷地内の西郷隆盛案内板 |
大久保利通
生い立ちの地 |
大久保利通生い立ちの地 |
日本の近代化に尽力した大久保利通が、少年期に3歳上の西郷隆盛と同じ郷中で育ち幼少期を過ごした場所である。 |
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大久保利通紹介看板 |
幼少期から薩摩藩役人時代を西郷隆盛と一緒「に過ごした場所 |
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西郷隆盛とは7歳の時に出会い、それ以降は薩摩藩独特の郷中教育の中で兄弟のように暮らしていたが、政治家として活躍するようになると、西郷隆盛とは対立するようになったがその信念を曲げることはなかった。 |
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円形広場 |
維新ふるささとの道
円形広場ゲート |
上流エリアに位置する円形広場は、近代幕明けをイメージした、薩摩と世界の交流や薩摩歴など薩摩と時・暦の関わりを紹介する広場などが整備されている。 |
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近代幕明けをイメージした石造りの維新歴史ゲート |
円形広場公園内風景 |
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円形広場公園内 |
円形広場公園の看板 |
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薩摩と世界の交流を紹介する円形広場の看板 |
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i維新ふるさと館 |
維新ふるさと館外観 |
維新ふるさと館は、幕末の薩摩と明治維新の全てが一目で分かる歴史観光施設である。主に明治維新を中心に薩摩藩や日本の歴史との関わりについてテーマごとに模型、パネル展示、ドラマなど多彩な展示と演出によって解説している。ドラマが楽しめる維新体感ホールをはじめ篤姫コーナーや郷中教育体感コーナーなど、テーマごとに資料を展示している。 |
維新ふるさと館 |
エントランス風景 |
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エントランス風景 |
幕末探訪・郷中教育 |
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幕末探訪・郷中教育紹介コーナー |
薩摩エピソード |
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西郷隆盛と大久保利通 |
明治維新人物伝 |
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明治維新人物展示 |
薩摩藩
産業遺産 |
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薩摩藩や産業遺産 |
鹿児島のことば |
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鹿児島のことばやうた |
維新ふるさと館MAP |
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城山散策 鹿児島城 仙厳園散策 世界遺産構成資産探訪 |