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姫路城探訪
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姫路城は、兵庫県姫路市にある日本における近世城郭の代表的な遺構で、1993年(平成5年)12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産に登録された。シラサギが羽を広げたような優美な姿から別名「白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう」の愛称で親しまれる。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴だ。三つの小天守がお互いを引き立て合うように重なり合い、千鳥破風や唐破風などの装飾が華やかさと壮大なスケール感を演出していた。現在、目にする姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもので400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残していた。 |
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探訪へのアプローチ |
探訪日:2016年3月20日 探訪形態:個人 探訪ルート:入門(菱の門)→西の丸→百間廊下→大天守探訪→お菊井戸→二の丸 |
西の丸エリア |
城内散策<西の丸・西の丸長局(百間廊下)エリア> |
西の丸エリアの見所
<西の丸>
<百間廊下> |
西の丸は徳川家康の孫である千姫の愛した庭や御殿があり、西の丸長局(百間廊下)は千姫に仕えた侍女たちが住んでいた場所だ。櫓の内部では、城を防御する仕組みや歴代城主の足跡、千姫の暮らしぶりを紹介していた。約240m続く長い廊下は圧巻だった。 |
西の丸・西の丸長局 |
西の丸 |
西の丸 |
徳川家康の孫である千姫の愛した庭や御殿があった場所 |
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百間廊下 |
百間廊下(西の丸長局) |
本多忠刻の妻・千姫に仕えた侍女たちが住んでいた場所で百問廊下と呼ばれる約240m続く長い廊下。櫓の内部では、城を防御する仕組みや歴代城主の足跡、姫路城に嫁いだ千姫の暮らしぶりを紹介してあった。 |
百間廊下 |
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百間廊下説明板 |
百間廊下 |
百間廊下櫓内部の展示 |
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百間廊下櫓内部<城を防御する仕組みや歴代城主の足跡、千姫の暮らしぶり等が紹介> |
化粧櫓の人形 |
化粧櫓内部<カルタ遊びをする千姫の人形が印象に残った> |
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大天守へ |
城内散策<狭い門をくぐって大天守へ> |
大天守へ続く門の見所 |
西の丸から天守を目指し天守へたどり着くにはいくつもの門<いノ門、ろノ門、はノ門、にノ門、ほノ門、水一門~水六門>をくぐらねばならなかった。これら大天守への門はいくつかは一人ずつ通るのがやっとの狭さであったり、迷路のようになっていてまっすぐ進めない構造になっていた。これは防御のためのものであり、敵を迷わせ分散させ、袋小路で挟み撃ちにするための防御工夫であるという。事後の文献調査で菱の門から天守までは直線で140m、実際の大天守への道のりは2倍以上の300mあった。それらの狭い門をくぐって大天守までの見所と足跡を辿ってみることにした。 |
いノ門
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門 |
ろノ門 |
西の丸から天守を目指す最初の門は両脇を石垣で固めた「高麗門」という形式の いノ門だった。 |
天守遠景 |
いノ門に入ると巨大な石垣群の上にそそり立つ天守が目に入った。 |
ろノ門 |
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イの門を直進してろノ門へ |
さくら・石垣・天守のコラボ |
ろの面に入ると石段の横に連なる、鉄砲や弓矢でねらう狭間と呼ばれる穴のあいた土塀があった。土塀の裏側に回ると「将軍坂」と呼ばれる石段の坂道があり、さくら・石垣群・天守のコラボが美しかった。 |
はノ門 |
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ロの門の先には、櫓が合体した「櫓門」とよばれるはノ門があった。 |
はノ門から天守
近景 |
はの門に入ると天守が間近に見えてきた。 |
にノ門 |
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急なカーブを何回もまわり入り口が狭く天井が低いにノ門へ |
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にノ門は、入り口と天井が低く作られており、屈指の難関と恐れられている防御鉄壁な門だ。門は門柱、冠木、大戸からくぐり戸まで一面鉄板で覆われて最後の砦の門として重要な門だということがわかる。< |
二ノ門突破
天守近景 |
にノ門を抜けると天守群がが目の前にせまってきた。 |
ほの門 |
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更に進むと姫路城内で一番小さな埋門(うずみもん)と呼ばれるほノ門だ。小さな門だが扉は二ノ門同様鉄で覆われていた。 |
天守近影
油壁 |
階段を駆け上ると天守の真下に。ほノ門をくぐって入ったすぐ右手の茶色い壁は通称「油壁」と呼ばれている築地塀だ。真っ白な漆喰塗籠めの壁が続く姫路城の中にあって、ひときわ目立つ壁だった。 |
水一門 |
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水一門へ。これで天守へ入城できるかと思いきや、ほノ門の裏に水一門が待ち受けていた。 |
水二門
水三門 |
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みず水一門から更に水二門、水三門へ。水三門、ここを越えるといよいよ天守の入り口だ。 |
水四門
水五門 |
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さらに水四門、水五門 |
水六門 |
水五門をくぐるとすぐ左手に水六門があり大天守へ入城。
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大天守内探訪 |
大天守閣へ<大天守内探訪> |
大天守探訪 |
たくさんの門をくぐり抜けいよいよ天守閣を目指して大天守へ入城だ。 |
現在姫路城に存在する天守は、播磨藩の藩主であった池田輝政が慶長14年(1609年)に完成させたものだ。この天守は、大天守を中心に三基の小天守が渡櫓によって環状に接続される、連立式と呼ばれる構成を見せる。南東に五層七階の大天守を据え、北東に東小天守、北西に乾小天守、南西に西小天守を配し、それぞれをイ・ロ・ハ・ニの渡櫓で繋いでいた。 |
地階 |
↓地階は穴蔵とも呼ばれ、洗い場(流し台)と台所を付属させ、二か所の厠が設置してあった。地階入り口で履き物を脱いで入城。 |
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天守一階の見所 |
↓北側に東小天守と接続するイの渡櫓、西側に西小天守と接続するニの渡櫓があり、隅には3ヵ所の石落としがあった。 |
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目六葉釘隠し |
↓目六葉釘隠し<長押などに出ている釘の頭部を隠すための装飾> |
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天守二階の見所 |
↓二階は、身舎の周りに武者走りを廻し、鉄砲や槍などが掛けられる武具掛が付けられ、武器倉庫としても使われていた。 |
武者走りと武具掛 |
天守三階の見所 |
↓三階も武者走りがあるが、それに加えて破風部屋と武者隠(むしゃがくし)と呼ばれる小部屋が数箇所設けられていた。また、石打棚(いしうちだな)という中段を窓際に設けて、屋根で高い位置に開けられた窓が使えるように高さを補っていた。 |
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天守四階の見所 |
↓三階同様に石打棚があった。籠城の際に射撃をすると、室内硝煙が充満するのでそれを排出する高窓があった。 |
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天守五階の見所 |
↓大広間一室で4重目の屋根裏部屋に相当し、大柱はこの階の天井まで通っていた。 |
東大柱 |
西大柱 |
天守六階
(天守閣の見所) |
↓天守六階(最上階) |
一段高い天上六階は、部屋の中央に柱を立てず、長押や棹縁天井など書院風の造りになっていて、長壁(刑部神社)が分祀されていた。 |
大天守六階
長壁(刑部神社 |
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↑大天守六階 長壁(刑部神社 |
天守六階からの眺望 |
↑最上階の大棟の大鯱瓦(しゃちがわら) |
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城内見所 |
城内見所散策 |
菱の門 |
菱(ひし)の門 |
冠木に木製の花菱が飾られているのが名前の由来で火灯窓(かとうまど)など安土桃山時代の優雅な趣が残っている姫路城内で最大規模の門だ。 |
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備前丸
備前門 |
備前丸と備前門 |
備前丸は本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所で客と会見する対面所などがあったが、明治15年の火災で焼失してしまったという。備前門は折廻櫓に続く切り妻の櫓門で、備前丸への主要な出入り口となる城門だ。 |
備前丸 |
備前門 |
石棺 |
↓石棺
備前門の入り口前にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれていた。これは、古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものだという。 |
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お菊井戸 |
↓お菊井戸
播州皿屋敷のヒロインお菊が攻め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていたという。 |
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↑播州皿屋敷の怪談のモデルになった「お菊井戸」 |
扇の勾配 |
↓扇の勾配 |
敵に簡単に上られないよう上にいくほど扇を開いたような曲線を描いた石垣になっていた。 |
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油壁 |
↓油壁
油白い漆喰が塗られていない油壁は、秀吉時代のものとされ、泥土をつき固めて作った古い工法の築地塀(ついじべい)で、もち米の煮汁を混入したとも言われている。 |
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黒田官兵衛が築いた石垣 |
↓黒田官兵衛が築いた石垣
黒田官兵衛は軍師としてだけでなく城造りにおいても名手といわれている。現在の姫路城にも、秀吉が三層の天守を持つ姫路城を築いた際、責任者であった官兵衛が携わってとされる野面積みの石垣が上山里下段、菱の門東側などに残されていた。 |
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三国堀 |
↓三国堀
姫山と鷺山のふたつの山の谷を利用して作った堀で二の丸の本道と間道の要所をおさえる重要な位置にある。 |
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将軍坂 |
↓将軍坂
姫「暴れん坊将軍」の撮影で使われたことから「将軍坂」と呼ばれるようになった。この坂は、「はの門」下の石段の坂道で石段の横に連なる狭間、天守を借景にした風景と桜が調和し、見事な風景をかもし出していた。 |
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城の美と防御 |
城の美と防御の見所散策 |
破風 |
↓城の美の見所 「破風」
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姫路城は白漆喰の壁と千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ調和がとれた繊細で美しい造形美を創り出していた。 |
千鳥破風 |
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末広がりな三角の形をした屋根の千鳥破風 |
唐破風 |
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上部が丸くなだらかに拡がる屋根の唐破風 |
狭 間 |
↓防御の見所 狭間 |
姫路城には、狭間(さま)など、戦いへの備えを意識した防御の仕掛けがいくつも仕組まれていた。狭間もそのひとつだ。櫓や土塀などの壁などに開けられた穴で長方形で弓を射る矢狭間と円形や三角形などの鉄砲狭間があり、整然と配置され、美しい景観をつくりだしていた。姫路城には総数4850か所程の狭間があったと伝わり、約1000か所の狭間が残っているという。 |
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↑櫓や土塀などなどの壁面に仕組まれた狭間
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google MAP |
google MAP
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