上海の旅 |
上海は、中国最大の都市で人口が約1300万人、中国の経済センター、総合的な工業基地であり、また有名な歴史文化都市でもある。地理的には北緯31度14分、東経121度29分の中国南北海岸線の中心に位置し、揚子江流域の門戸でもある。亜熱帯気候に属し、年間平均気温は15度。豊富な歴史文化と遺物を持ち、急速に都市化的な発展を成し遂げ、中国の近代発展の鏡とも言われる。今回のツアーでは、豫園、玉仏寺等の名所を探訪し、外灘夜景や北京料理を楽しんだ。 |
豫園(よえん) |
豫園 の「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意味に通じることばである。明代に造られた、400年以上の歴史を持つ古典庭園で上海屈指の観光スポットとなっている。400年以上の歴史を持つ古典庭園には
園内の庁堂楼閣、築山と流泉、生き生きとした龍壁、曲がりくねった回廊、 美しい名石とが見事に調和し、中国独特の古典的な美の世界を創りだしていた。 豫園は上海の黄浦区に位置し、元、明、清の時時代から民国初年にまでの700年来、ずっと上海の政治、経済、文化の中心になっているという。 |
入り口付近の大きな岩に刻まれた「海上名園」の文字。文字は上海市長も勤めたことのある江沢民前国家主席の直筆だという。 |
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曲がりくねった回廊や置物、さまざまな形をした花窓が400年以上の古典庭園の雰囲気をかもしだしていた。 |
仰山堂に面する池をテーマにした庭園風景 |
石をテーマにした庭園風景 |
園内の庁堂楼閣や築山と流泉は、も明・清時代の中国南部の庭園建築芸術を代表するものとされる。 |
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屋根上や壁に龍を配した「龍壁」。 生き生きとした龍壁と美しい名石とが見事に調和し、中国の古典的な美の世界を築いていた。 |
玉仏寺 |
玉仏寺には名前の由来となる2体の貴重な仏像が祀られている。一体は玉仏楼内の白玉石で造られた釈迦牟尼仏(仏陀座像)でもう一体は臥仏堂内の釈迦涅槃像(涅槃仏陀臥像)だ。いずれの仏像も寺の秘宝でこれら二体の仏像は清朝末期に、慧根和尚がビルマから持ってきたものとされる。寺にはほかに、清の時代の経典や貴重な絵画が保存されている。寺は1882年に建立された禅寺で、 建立時は現在とは別の場所にあったが、1918年に現在の場所に移され、中国江南地区の名刹の一つだ。上海の有名な観光スポットの一つであり、上海では最も参詣者が多い寺であるという。 |
玉仏寺入り口と風格のある大雄宝殿 |
玉仏寺の仏像 |
柔和な微笑みを浮かべる臥仏殿の玉仏臥像。二体とも撮影禁止になっておりこの玉仏臥像はコピー像である。 |
上海風景 |
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フェリー「蘇州号」から望む上海の高層ビル群 |
外灘夜景鑑賞:上海のシンボル「東方明珠タワー」の夜景 |
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上海雑技団鑑賞
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蘇州の旅 :拙政園、寒山寺、シルク研究所、虎丘、刺繍研究所 |
蘇州は長江デルタの中心部に位置し、東は上海、南は浙江省に接し、西に太湖があり、北に長江が流れている。全市面積は8488平方キロメートルあり、そのうちの42.5%は水面である。蘇州は昔、呉と称せられ「呉都」、「呉中」、「東呉」、「呉門」、「平江」などの別称がある。蘇州は「三古一湖」(古典的な庭園、水郷の古い町。千年の歴史を持つ古城、 太湖の風光)をその独特な観光資源としている。2500年前建造された蘇州城は今も姿をそのまま残し、中国の歴史と文化の足跡をよく示していた。今回のツアーでは世界文化遺産に登録されている「蘇州園林」の中の拙政園(せっせいえん)や寒山寺、虎丘を見学した。 |
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水郷の古都 蘇州のライトアップ |
拙政園 |
拙政園は、明代正徳4年(西暦1509年)に王献臣が造園し,北京の頤和園(ぎわえん)、承徳の避暑山荘、蘇州の留園と並んで、中国の四大名園と称されている。水がテーマの庭園で5万平方メートルのうち5分の3が池で、その周りに古めかしく格調の高い建物が配されている。ユネスコ世界文化遺産に登録 |
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寒山寺 |
寒山寺は、梁代天監年間(紀元502~519年)に創建された禅宗寺院で度重なる火災に遭い、現在の建物は清代に再建された。唐の貞観年間(627~649年)に寒山と言う僧侶が住むようになったことから寒山寺と呼ばれるようになったと伝えられている。 唐代の詩人・張継の《楓橋夜泊》や蘇州の除夜の鐘であまりにも有名な寺だ。 |
楓橋夜泊の有名な詩碑 |
蘇州除夜の鐘で知られる寒山寺の鐘楼 |
月落ち烏(からす)ないて霜天に満つ
江楓(こうふう)漁火愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ)
夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る |
寒山寺の五重の塔 |
寒山寺観音峰 |
虎丘(こきゅう) |
虎丘は市街地西北約5kmに位置する標高35m、面積20haの小高い丘である。2500余年の歴史を持ち、 「呉中第一名勝」と称せられ、中国に現存する最も古い(春秋時期)の都市風景名勝庭園とされる。春秋時代に呉王夫差(ふさ)が呉王だった父親の闔閭(こうりょ)がここに葬られ、葬儀の三日後、白い虎が突如現れ、墓の上にうずくまって墓を守ったという伝説から虎丘と呼ばれるようになった。また丘全体が虎の座った姿のようでもあるこ
とから、虎丘と呼ばれる。虎丘内の主な史跡は試剣石、剣池、斜塔の虎丘塔(雲岩寺塔)などがあり、特に虎丘塔(雲岩寺塔)は青空の下で1000年もの間斜めにそびえ立っている勇姿により、「東洋のピザ斜塔」とたたえられている。宋の詩人、蘇東が「蘇州に遊びて虎丘に遊ばずんば憾事なり」と詠った名所でもある。 |
多くの伝説を残す虎丘の史跡 |
剣を好んだ闔閭のために、剣が3千本埋められたという「剣池」 |
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斜塔の虎丘塔(雲岩寺塔)は宋王朝の961年に建立され、八角形七重の塔、煉瓦で建築。高さは47.5メートル、15度傾いており、「東洋のピザ斜塔」とも称せられる。
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刺繍研究所 |
蘇州刺繍研究所は中国で蘇州刺繍の研究を行う専門機構で 世界遺産に登録されてい環秀山荘内にある。蘇州刺繍は100色以上の色艶やかなシルクの刺繍糸と髪の毛の十分の一程の極めて細い刺繍糸が使われれている。高度な技術が内外に知られ、最高品質を誇る刺繍研究所としてよく知られ、毎日世界各国から多くの見学者や研究者が訪れるという。研究所展示場には羽根の一本一本までも精巧に描写されたツルの優雅な飛翔姿や花の刺繍作品を鑑賞することができた。 |
蘇州刺繍研究所 |
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まるで実物がそこにあり、額のなかから今にも飛び出してきそうな立体感のあるリアルな刺繍作品が数多く展示・即売されていた。
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杭州の旅 :西湖遊覧 霊隠寺 西令印社見学 |
杭州は浙江省の省都で中国の東南沿海、長江デルタの南に位置し、長江デルタの政治、経済と文化の重要な中心都市である。歴史が深く、中国の有名な文化都市・七大古都のひとつで、山河の自然景色がすばらしく、旅行家「マルコポーロ」も杭州は「世界の最も美しい豪華都市である」と賞嘆している。風景だけでなく唐代の大詩人白居易や宋代の蘇東波等、多くの文人墨客を輩出している。有名な景勝地と見所には西湖、飛来峰、霊隠寺、宋城、六和塔、中国茶葉博物館などが挙げられる。 |
西湖(せいこ) 西湖遊覧 |
中国十代風景名勝の一つ西湖は,山河の自然景色がすばらしく杭州第一の見所だ。北宋の詩人蘇東波は西湖の美しさを中国古代の美女西施にたとえて詩の中で「西子湖」と詠んたことから、西湖と呼ばれるようになったという。西湖を中心とする「西湖十景」が存在するそうだが今回、遊覧船による西湖巡りで西湖の美しさの一端にふれることができた。 |
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遊覧船を利用した湖上巡り |
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「西湖十景」のひとつ 「三潭印月」。「三潭印月」とは、湖に三つの燈篭を立て、中秋の名月の日にこの燈篭に火が灯され、月の光と燈篭の光で、湖面が金色に光り輝く様から来ているのだという。 |
西泠印社(せいれいいんしゃ) |
西泠印社は中国浙江省の杭州市郊外の近くにあり、篆刻を研究する著名な学術団体、及び関連企業・庭園の名称である。古印、篆刻の研究を中心にして、書画・金石学の研究、文物収蔵、出版、展示を行い、中国における篆刻芸術の中心となっている。詩人張継が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」の掛け軸が販売されていて、見学の記念に購入した。 |
西泠印社の入口 |
霊隠寺(れいいんじ) |
霊隠寺はインドの僧慧理によって326年に開山された中国禅宗十大古刹の一つで雲林禅寺とも呼ばれ、霊隠山の麓にある。境内の主な建築は天王殿と大雄宝殿があり、天王殿には南宋時代の楠木造りの韋駄天像が、大雄宝殿には金箔を貼った釈迦如来像が安置されている。慧理が「ここは仙霊が隠れているところだ」と言ったことから霊隠寺と命名されたという。全盛期の五代呉越国時代に国王は霊隠寺を増築し、数千人の僧侶が修行していたという。その後、度重なる戦火により、現存する寺は清代末期に再建された。渓流を隔て霊隠寺と相対する飛来峰には、多くの洞窟があり、そこには南宋から元のころに彫られた磨崖仏が数多く存在していた。 |
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観光客や参拝者でにぎわう 霊隠寺 |
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霊隠寺の仏像 |
霊隠寺と相対する飛来峰には、多くの洞窟があり、五代呉越国時代から元の時代にかけて彫られた338体の石仏がある。
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終わりに |
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往路は上海フェリー「蘇州号」 志布志港発上海行き |
帰路は飛行機を利用 |
解散会 お疲れ様、そしてありがとうございました。 |