|
ふるさと情報室へ 探訪記へ |
|
|
|
|
世界遺産 白川郷合掌造り集落 |
i白川郷合掌造り集落 |
世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、 岐阜県白川村荻町(白川郷)と富山県平村相倉集落、上平村菅沼集落の三つの集落で構成。近年まで「陸の孤島」といわれ、日本有数の豪雪地帯で、山間奥地閉鎖的な地形と水稲に不向きな土地と相まって年貢米を焔硝で上納し、焔硝と生糸生産を中心に生活が営まれていたという。合掌造り集落はこのような時代背景の中で家長制度のもと、合掌造り集落が発達形成された。合掌造り建築法と「結」と呼ばれる相互扶助の精神が後世に守り伝えるべき貴重な文化として評価され、1995年(平成7年)、日本では6件目の世界自然文化遺産に登録された。今回、規模も大きく合掌造り集落代表格とされる白川村荻町(白川郷)を訪ねた。 2012/10/19 |
|
「世界文化遺産白川郷」案内板と土産店が並ぶ合掌造り集落入り口の風景 |
白川郷合掌造り集落風景 |
|
|
|
稲の刈り取り後の白川郷合掌造り集落田園風景 |
見学公開家屋 |
白川村萩町(白川郷)合掌造り集落と公開家屋 |
|
白川郷荻町には合掌造りの特色を残す「長瀬家」「神田家」「和田家」が見学できる場所として一般公開されていた。 |
長瀬家
合掌造家屋 |
|
|
|
長瀬家公開の合掌造り家屋: 現在の建物は1890年(明治23)に建てられた5階建ての合掌造り家屋で総床面積約600坪。各階には長瀬家に伝わる品々や白川郷の歴史や生活を伝え品々が展示してあった。 |
神田家
合掌造家屋 |
|
|
|
神田家公開の合掌造り家屋:現在の母屋は江戸時代後期に10年の歳月をかけて建てられたとされる。木造四階建てで一階は居住空間、中2階は寝室、2・3階は養蚕の作業場、4階は物置。 |
和田家
合掌造家屋 |
|
|
|
和田家公開の合掌造り家屋: 建築時代は江戸末期とされ、江戸期に名主や番所役人を務め、火薬の原料である焔硝の取引によって栄えたとされる。1995年(平成7年)国の重要文化財に指定。 |
合掌造家屋構造 |
合掌造り家屋の屋根構造 |
|
白川郷の合掌造りは 屋根に満遍なく日が当たるようにいずれも妻を南北に向け造られていた。合掌造りとは二本の部材を山形に組み合わせてつくるサス構造茅葺きの屋根で掌(てのひら)を合わせたような形になっていることから名付けられた。重い積雪に耐えられるように屋根の勾配が60度に近く、釘と鎹(かすがい)を一切使わず、建築材の接合部には木製のクサビやねそ(マンサク)などが用いられていた。 |
合掌造り屋根 |
重い積雪に耐えられるように屋根の勾配が60度に近い急勾配の山形をした合掌造りの屋根。 |
合掌造家屋構造 |
合掌造り屋根の内側と採光窓。二階以上の部屋も養蚕の仕事場として使用されるため採光と通気を確保するための工夫がなされていた。 |
|
|
|
|
結束には、わら縄とネソ(マンサクの細い幹)が使われていた。 |
合掌造部屋構造 |
合掌造り家屋部屋の構造 |
|
長瀬家の合掌づくりは、五階建てで、一階は生活の場、二階は使用人の寝床等、三・四階は養蚕等の作業場、五階は薬草の干し場として利用されていた。 |
合掌造家屋構造
一階 |
|
|
|
一階は、いろりや仏壇などがあり、生活空間の場となっていた。 |
長瀬家合掌造
一階展示品 |
|
|
|
一階の展示コーナーには貴重な祝祭用の道具や什器が多数展示してあった。 |
長瀬家合掌造
二階寝床 |
|
|
|
二階は使用人の寝床として利用。暖炉の上に天井から吊した棚は、火の粉が天上に上がるのを防ぎ、暖炉の熱を環流させ、物を置いて乾燥させる役目があるという。 |
長瀬家合掌造
三階展示品 |
|
|
|
三階は生活用品が所狭しと展示されて昔の生活が偲ばれた。 |
長瀬家合掌造
四階展示品 |
|
|
|
四階は、農機具や山仕事道具、養蚕の籠等が展示され、これらの資料から白川郷の歴史背景や生活様式の一端を知ることができた。 |
結いと合掌造り |
「結い」の心を伝える合掌づくり |
|
村人総出で行われる屋根の葺き替えは、「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の精神で行われ、建築物とともに後世に守り伝えるべき貴重な文化として評価され、世界遺産に登録された。長瀬家展示資料によると平成13年、村人や全国からのボランティア5百人以上により、長瀬家80年ぶりの屋根の葺き替えが行われ、大規模な屋根葺きの過程はNHKで放映され話題を呼んだ。人の手なしには維持できない合掌の家々が並ぶ白川郷には、助け合い、支え合う心、人と人とを結びあう絆が、「結」という言葉とともに生き続けていた。 |
結いで木組み
風景写真 |
「結」で屋根の木組みの結び直し風景(パンフ資料より) |
建造物文化財 |
合掌造り民家以外の建造物文化財 |
明善寺鐘楼門
明善寺の本堂 |
明善寺鐘楼門
門と鐘楼を兼用した明善寺鐘楼門は享和2年(1801)、加藤定七により建てられた門である。現在の梵鐘(ぼんしょう)は第二次大戦中に供出され戦後に作られたという。 |
明善寺の本堂
浄土真宗の仏堂で茅葺合掌造りながら民家とは異なり漆喰の白壁で屋根は合掌入母屋造りだった。20年近い歳月を経て 文政10年(1827)に建築された。 |
明善寺庫裡 |
|
|
|
明善寺庫裡 |
|
庫裡(くり)とは、住職や家族の居所で江戸時代末期建築され、現在は郷土館として公開されていた。五層の合掌造りは他の民家の造りと同様釘とかすがいを一切使わす、接合部は藁縄やねそ(まんさく)が使われ、白川郷でも最大規模の合掌造りの建物だった。 岐阜県重要文化財に指定 |
古木巡り |
白川郷荻町の天然記念物(樹木) |
|
旅の楽しみの一つ古木巡り:秘所・名所を訪ねるとそこには必ず古木との出会いがある。白川郷八幡神社のスギ(村指定天然記念物)と明善寺イチイ(県指定天然記念物)の古木に出合い、元気をもらった。 |
八幡神社の大杉 |
八幡神社鳥居と大杉 |
神社境内の大杉 |
|
どぶろく祭が行われる八幡神社の鳥居両端と境内には立派な大杉が立ち、歴史の古さが伝わってきた。白川八幡神社の大スギ(村指定天然記念物)。(幹周 560cm 樹高30m 樹齢200年~ 299年)
|
明善寺のイチイ |
|
|
|
明善寺のイチイは、本堂再建の折に、文政10年(1827)、副棟梁の与四郎が鐘楼門の横に植樹したとされる。( 幹周350cm、樹高10.6m、樹齢180年)。 岐阜県の天然記念物に指定 |
探訪感想 |
後 書 き |
|
教科書にも登場する白川郷合掌造集落は、ふるさとの原風景として昔から心の奥に残り、一度は訪れたい場所のひとつだった。 車から降り、出合い橋を渡り、集落内を歩くと稲の収穫を終えたばかりの田んぼにカカシが立ち、のどかな合掌造民家の田園風景があった。民家以外の伝統的建造物の明善寺鐘楼門・本堂・庫裡、天然記念物の明善寺イチイや八幡神社杉の古木も見学し、白川郷の歴史や文化の一端にふれることができた。色づき始めた山々の紅葉を背景にして、とがった合掌造屋根と田園風景が美しい白川郷の景観を醸し出していた。「白川郷・五箇山合掌造り集落」を訪れる観光客は、五箇山は登録前の50万人から登録後は70万人から80万人に増加。一方、白川郷(荻町)は登録前60万人から登録後は150万を超える急増ぶりだという。白川郷は、観光客激増に伴い、駐車場不足や交通渋滞、し尿処理の問題、敷地への侵入によるプライバシーの問題等、負の遺産が目立つようになっているという。このことは、世界遺産のあり方自体や維持管理に問題を投げかけ、我々見学者一人一人にも世界遺産を再認識し、マナーを守って見学するよう警鐘を鳴らしているように思われる。次回、積雪した冬の白川郷の再訪を期して白川郷を後にした。 |
|
「出会い橋」を渡って白川郷合掌造り集落に出入りする観光客 |