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宝満寺跡志布志市
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志布志の宝満寺は京都泉湧寺・奈良西大寺両寺の末寺で、明治2年(1869)の廃仏棄釈によって廃寺となった秘山密教院宝満寺の遺跡である。宝満寺は、奈良時代聖武天皇の神亀年間に(724〜728)鎮御国家のため創建されたと伝えられ、その後、正和5年(1316)院宣を受けた信仙上人英基和尚により再建された勅願寺で,坊津一条院と並ぶ古刹である。本山の奈良西大寺より下向安置された本尊の如意輪観音仏像は運慶一代の名品といわれる。安産祈願の護符は霊験あらたかで、花嫁を馬の背に花婿が手綱をとるシャンシャン馬の参拝風物もこの地に始まるとされる。明治2年の廃仏棄釈後は町内外の参拝者等の浄財により、現在の宝満寺観音堂が建立され、現在に伝えられる。宝満寺跡地には、現在も中国様式の畔池を廻らせた庭園、仁王像、歴代住職の墓地などが残り、往時の面影を偲ばせてくれる。毎年、4月29日には「お釈迦祭り」が行われ、市内外から多くの参拝客や見物人で賑わう。鹿児島県指定文化財(1967年3月21日指定)。 |
探訪日 2009・4・29 最終更新日2015.9.1 |
高野山大師教会大隅支部の宗教基盤で建立された現在の宝満寺観音堂 |
宝満寺跡の佇まい |
中国様式の畔池を廻らせた庭園 |
往時を偲ばせる背後の自然林と岩窟 |
宝満寺観音堂とクスノキ |
宝満寺跡の境内入り口には、応永八年(1401)の島津家の内乱のとき前川河中で戦死したと伝えられる隈田原兄弟の仁王像が立つ。 |
放浪の詩人・種田山頭火の句碑。種田山頭火は昭和5年の秋、志布志に入り、二泊滞在しながら街中を行乞し、この間46の句を詠んでいる。種田山頭火の句碑がここ宝満寺跡やダグリ岬遊園地入り口・市内数カ所に設置されている。 |
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お釈迦祭り |