広島の世界遺産と名所巡り 広島・宮島探訪記     topへ
 原爆ドーム  被爆樹木  広島城  厳島神社  旅行日:2012/9/11~9/13
 周辺散策  弥山探訪  宮島の自然  MYショット
  一日目:原爆ドーム・原爆資料館・平和記念公園・広島城            日目 :宮島厳島神社散策・弥山     
 原爆ドーム行程(半日)   世界遺産「原爆ドーム」 →広島平和都市記念碑→広島平和資料館    広島城
 広島原爆ドーム

 
平和記念公園


広島平和資料館


広島城

探訪初日は原爆ドームを訪ねた。広島平和記念資料館に展示されたおびただしい数の遺品が被爆の惨禍を雄弁に物語っていた。「負の遺産」ともいわれる「原爆ドーム」は、その惨禍を伝えるだけでなく、核兵器廃絶を訴える比類なきシンボルとして脳裏に強く焼き付いた。
 
 <広島原爆ドーム>
1996年12月、第20回世界遺産委員会において世界文化遺産に登録された。世界遺産としての正式名は「広島平和記念碑(原爆ドーム)」
 
相生橋から眺望した原爆ドーム

 原爆ドーム
 <平和記念公園>
人類の恒久平和と核兵器廃絶を願う場として、原爆の爆心地近くに設けられた広大な公園で世界平和を願うモニュメントや祈念碑が数多く点在していた。

   平和記念公園「原爆の子の像」

 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
 <広島平和資料館>
多くの被爆資料や核兵器に関する展示を見ることで、平和について考えさせてくれる広島平和資料館だった。
 
資料館展示の核の地球儀とパネル

被爆資料(放射線被ばく線量と症状) 
<被爆展示資料>
被爆した現物資料や遺品から原爆投下直後の様子が伝わり、改めて原爆の怖さや戦争の愚かさを感じた。

 
溶けた瓦のかたまり
 
原爆投下時刻の8時15分で止まった時計
 <被爆樹木
(広島城)
復興と平和のシンボル「被爆樹木」を訪ねる。
原爆の被害を受けてもなお生き残った樹木は「被爆樹木」と呼ばれている。爆心地からおよそ半径2kmにある約170本(55ヶ所)が、広島市によって認定された。被爆し、焼け野原となった広島の地で新しい芽を出し、人々を力づけ復興の力となり平和のシンボルとなってきた木だ。人類史上初の原爆投下の”生き証人”として 後世に原爆の惨さを伝え、強靱な生命力で、惨禍を乗り越えてきた被爆樹木の一部を訪ねた。被爆樹木は広島城のある広島城址公園内にあった。 
被爆樹木「ユーカリ」 
このユーカリは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残ったものです。爆心地側の南側は原爆の熱風により黒く焼けただれていた。1971(昭和46)年、台風で地上2.5メートルのところで折れたが、再び根元から新根を吹き返した。その後の幾度かの台風に耐えながら育った。(案内説明文より)
   
A-bombed tree Eucalypt「被爆樹木 ユーカリ」 (爆心地から740m)
この木は中沢啓治の漫画「ユーカリの木の下で」にも登場する。
被爆樹木「マルバヤナギ」 
:爆風で幹が真っ二つに裂けかけたが、戦後十数年が経ってから樹木医の手当を受け、命をつなぐことができたという。
   
「被爆樹木 マルバヤナギ」(爆心地から770m) 
被爆樹木「クロガネモチ」 
:広島城本丸に設けられた大本営の前に植えられていた。大本営は被爆によって全壊したが、この木は被爆したとは思えないほど元気に枝を広げ、育っていた。
 「被爆樹木 クロガネモチ」(爆心地から910m)

広島城  広島城 
広島城址公園を散策しながら本丸天守と二の丸をめざした。広島城は天昇17年(1589)に毛利輝元が築いた典型的な平城で「鯉城」の名で親しまれる名城だ。日本100名城の一つに数えられ名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とも言われる。主な歴代城主は毛利輝元、福島政則、浅野長晟(ながあきら)である。原爆で全壊したが昭和33年(1958)に外観が復元され、平成元年(1989)に歴史博物館になった。
 広島城天守  
黒を基調にしした威風堂々の広島城天守

 広島城二の丸跡    広島城跡二の丸表御門(復元)
御門橋を渡り御門をくぐると二の丸。築城当時ここは本丸を守る馬だし(籠城の時ここに馬を集め出陣に備えた)という役割を与えられていた場所で平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が配置されていた。 平成元年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3年に完成した。
  表御門

平櫓

多聞櫓

太鼓櫓
 
   
広島城二の丸御門橋、表御門
   
 説明碑(二の丸、平櫓、多聞櫓、太古櫓)

 天守閣展望からの風景  天守閣展望からの風景
     
 

 
天守閣展望からの眺望   
宮島「厳島神社」行程 二日目 宮島 世界遺産「厳島神社」  弥山(みせん)
 厳島神社


周辺散策


弥山登山


表参道歩き

世界遺産「厳島神社」のある宮島は、日本を代表する景勝地で日本三景の一つに数えられる。1996年、厳島神社と、背後の弥山原始林が世界遺産に登録され、その面積は島の14%にあたるという。古代より島全体が信仰の対象で6世紀末に神社が創建され12世紀半ば、平の清盛が厳島神社を海に浮かぶ今の姿に再建。今でも平安時代に清盛が伝えた舞楽が奉納されるという。原始林が茂る弥山を背景に、朱塗りの社殿が雅な世界を織り成していた。弥山の山頂一帯にはご神体として崇められ、神が宿るという巨大な巨岩・奇岩や霊火堂があり、厳かで神秘的な空気が漂っていた。弥山山頂に立つと、瀬戸内海に浮かぶ大小の美しい島々が目の前に見渡せ、360度の大パノラマ絶景を楽しんだ。
厳島神社」 
推古天皇が即位した6世紀末に創建され、12世紀に平清盛が安芸の守となり、厳島神社の現在の姿を確立したと伝わる。 
本社は平安時代の寝殿造りの建築様式が取り入れられ、荘厳で優美な朱色の社殿が美しい景観をなしていた。
 
厳島神社のシンボル、海上に立つ朱塗りの大鳥居

 本社 左右対称に17塔の社殿が続く
<廻廊>
社殿の東西を結ぶ廻廊は幅4m、長さは275mに及び、国宝や重要文化財の各殿を結んでいた。満潮時に海水の圧力を弱めるために床板間に「目透し(まとおし)」という隙間が設けられていた。
 
 
朱塗りの柱が整然と並ぶ廻廊 

本社祓殿
<高舞台
本社拝殿前にある高舞台は四天王寺、住吉大社と並ぶ日本三大舞台のひとつで、800年の間受け継がれてきた舞楽が奉納されるという。社殿内には能舞台もあり今でも4月の桃花祭神能では能が奉納されるという。
火焼前は高舞台前方の平舞台の先に突き出した桟橋で古来船で参拝していた名残だという.。

本社拝殿前にある高舞台

火焼前(ひたきまえ)から200m先に大鳥居が立つ
周辺の歴史スポット  厳島神社周辺ぶらり散歩 
  大願寺

千畳閣

五重塔

厳島神社の西廻廊を出ると日本三大弁天にひとつ、真言宗の古刹「大願寺」があった。この寺は建仁年間(1201-1233)に再興されたと伝わり、本堂には本尊の薬師如来像(重文)があった。その他、厳島神社周辺には、豊臣秀吉によって建てられた豊国神社(千畳閣)、和洋と唐様が調和した美しい塔「五重塔」、宮島でもっとも古いことで知られる寺院「大本山大聖院」などの名刹や神社などがあった

<大願寺>
大願寺は日本三大弁天のひとつで、厳島弁財天をはじめ、薬師如来像(重文)など4体の需要文化財があった。 本堂奥の書院は、幕末に、勝海舟と長州藩を代表する藩士らが講和会議をした場所として知られている。

大願寺山門
 
大願寺厳島弁財天本堂
<大願寺の九本松>
大願寺の九本松(黒松)は樹高が18m、枝張が東西9m、南北8mもある立派なクロマツで 伊藤博文によって植えられたという。

 大願寺の九本松説明板

大願寺の九本松全景 
<五重塔>
千畳閣の隣に建つここ厳島神社にある五重塔は1407年に建立されたと伝わる高さ27.6mの像で屋根の反りが大きいのが特徴だ。 

<千畳閣>
畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」の名が付いたという。秀吉の命により造営がはじまったが秀吉の死(1598年)未完のまま現在に至る。
 
五重塔

豊国神社(千畳閣) 
豊臣秀吉によって建てられた大経堂
 弥山探訪 パワースポット弥山(みせん)山頂を目指す 
世界遺産の霊峰「弥山」を探訪
(ぐるっと二時間)
 獅子岩展望台
弥山本堂
霊火堂
くぐり岩
弥山山頂

弥山(みせん)は厳島神社の背後にそびえ立つ標高535mの宮島の最高峰でその昔、弘法大師・空海が修行した場所だと伝えられる。スタートは神社から徒歩10分の紅葉谷公園からロープウエーで獅子岩展望台にアプローチ。そこからハイキングで山頂を目指した。登山道路の尾根づたいの開けた場所からは瀬戸内海に浮かぶ大小の島々が見渡せ絶景だった。山道一帯の樹林帯はアカマツやツガの巨木が立ち並び、独特の樹林層を形成していた。山頂近くには本堂や霊火堂があり、神秘的な霊気に満ちていた。巨岩・奇岩がゴロゴロ・ずらりと並ぶ山頂一帯の景色は圧巻で、360度のパノラマビューを楽しんだ。
 <獅子岩展望台>
獅子島展望台からは青い海と瀬戸内海に浮かぶ能美島、江田島等、大小の島々や広島市街が遠望できた。
 
展望台のシンボル 獅子岩

宮島の絶景ビューポイント 獅子岩展望台
 獅子岩展望台で絶景を楽しんだ後、山頂を目指して再出発。
登山道路の尾根づたいの開けた場所からの展望は、絶景で足取りも軽かった。

獅子岩展望台から登山道を上ったり下ったりしながら30分ほど歩いて弥山本堂と霊火堂に着いた。
 
登山道風景
 
途中、山道の開けたポイントからの眺望
 <弥山本堂> 
弥山本堂は弘法大師が本堂を建て、修行をした地だという
  <霊火堂>
堂内には、弘法大師が修行に使ったという火が、1200年以上経った今も燃え続け、「消えずの火」と呼ばれている
「広島記念公園」の「平和の灯」の元火になったという。神秘的な火を見つめていると自然と心が落ち着いた。
 
弥山本堂

 霊火堂
ぐり岩>
霊火堂から山頂へ向かうと山頂の手前に巨大な岩が現れた。通称・くぐり岩。鳥居のような頭上の巨岩を見上げながら、胸をはずませて階段を上りきるとそこには巨大な巨石群と展望台が目に飛び込んできた。
 
自然が創り出した”弥山の大鳥居”「くぐり岩」
 
くぐり岩通路
<山頂風景>
霊火堂から歩いて10分。巨大な岩のトンネル「くぐり岩」をぬけるとついに弥山山頂に到着。山頂には神が君臨すると伝わる「神の盤座石(いわくらいし)」等、背丈を軽く超える巨岩がずらりと並び山頂の風景は圧巻だった。
 
山頂巨石群と展望台

神が君臨すると伝わる「神の盤座石(いわくらいし)」
<ついに念願の弥山山頂へ>
山頂は絶景が楽しめるパワースポットだった。展望台から360度の大パノラマビューを楽しんだ。
 
 
弥山山頂の展望台

山頂529mを表示する三角点 
宮島の自然   世界遺産「弥山原始林」とシカ
 手つかずの原始林が残る宮島の自然。弥山原始林は独自な自然環境を形成していた。
いたるところで見かけるシカ。弥山原始林とシカ、人間との共存・共栄を考えさせられた。
厳島神社の後背地にある手つかずの原始林が1996年に「弥山原始林」として厳島神社とともに世界遺産に登録された。宮島全頭には700種以上の植物が自生しており、寒地を好むモミノキとミミズバイ、イヌガシなどの暖地性の照葉樹が混在して独自の自然環境を育んでいた。宮島の参道や住宅地、どこでも必ず出合う動物が「シカ」。現在、宮島には500頭ほどが生息しているという。宮島ではシカは神の使いとされ、大事に保護されている。全国的にシカによる森林食害被害が報告されているが宮島の原始林は大丈夫?
 <弥山原始林>
弥山原始林は信仰の対象として古くから大切に保護されてきた。
ツガ林とアカガシクロジロガシ、ツクバネガシなどを伴うアカマツ林から構成され独自の自然環境を育んできた。

山頂部の登山道脇でもアカマツやツガの大木が見られ、美しい景観を醸し出していた。
 
美しい景観を醸し出すアカマツと弥山原始林
弥山原始林は寒地を好むモミノキとミミズバイ、イヌガシなどの暖地性の照葉樹が混在して独自の自然生態系を育んでいた。  
弥山原始林表示板 

アカマツ・ツガの針葉樹と照葉樹が混生する原始林
<宮島の名物シカ>
宮島では至る所でシカが見られた。宮島のシカは神の使いとして認識され、受け継がれてきた。シカの糞尿による公衆衛生上の問題、食害による森林破壊など環境問題が懸念されるところだ。対策として
「・エサをやらない・ゴミを出さない」等策がとられていた。
 
公園でも
 
街中でも

後書き & スナップショット 
駄記:広島を代表する景勝地宮島は、島のシンボル、厳島神社や大鳥居、豊国神社(千畳閣)、五重塔、大願寺を初めたくさんの名所・史跡が点在していた。特に「弥山」は汗をかきながら山頂にたどりついただけに一際、印象に残り、心が癒された。弥山の原始林は寒地と暖地の樹種が混在し、不思議な生態系を育んでいた。普通の山桜は二週間ほどが開花時期だが宮島の山桜は二ヶ月近くも咲き続けるという。紅葉谷公園も歩いたがモミジが真っ赤に紅葉する秋に、また桜が開花する春の時期を見計らって再訪したいものだ。宮島は平清盛や毛利元就など歴史上との結びつきも深く、今回の探訪をきっかけに見識を深めたい。宮島の名物シカは本来、山中を住みかとする野生動物だがある時期から人々がエサを与えるようになり、現状の状態になったという。今後、衛生問題や植物の食害など懸念される材料があるがシカと人間が共存・共栄できる環境になることを切に望みたい。ブラリ街中散歩ではモミジまんじゅうをはじめたくさんの土産を買い込んだ。出発前から楽しみにしていた宮島発祥のご当地メニューの「あなごめし」もしっかりいただいた。たくさんの思い出ありがとう「宮島厳島神社」の旅。
 スナップ MY privateショット
   
広島のお好み焼き、アナゴメシも食べてグルメ満喫の旅だった。 
   
船を下りたらそこは宮島シカさんが出迎えてくれた。 
   
 海にたたずむ世界文化遺産「厳島神社」。見所いっぱいで近くの歴史スポットをのんびり歩いて散策。
   
パワースポット弥山山頂を目指し、弥山原始林を歩く。 途中リタイアーしかけながらも山頂を制覇、よくがんばりました
   
たくさんの思い出をありがとう宮島旅編でした。

→ 三日目 宮島から山口「錦帯橋」へ            サイド計   top累計