三日目コース |
宮島から岩国へ「岩国城」「錦帯橋」 |
岩国城
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吉香公園
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錦帯橋
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半月庵 |
広島世界遺産・名所の旅は三日目最終日、宮島から岩国へ向かった。コースのメインは「錦帯橋」と「岩国城」。錦帯橋を渡る前にまずは「岩国城」へ。岩国城天守閣の展望台からは眼下に錦帯橋と岩国の城下町を見下ろすことができ絶景だった。天気がよければ遠くに四国まで望めるという。吉香公園内を歩き、錦帯橋へ。公園内には美術館や資料館、藩政時代をしのぶ史跡などの歴史スポットが点在していた。錦帯橋は、組木技法を使って造られ、五連のアーチが美しく、岩国の城下町とともに江戸の風情を感じさせた。岩国へ来たら岩国寿司。宇野千代の小説「おはん」の舞台にもなった割烹「半月亭」で食する岩国寿司(殿様寿司)の味は格別だった。探訪日2012年9月13日 |
錦帯橋 |
岩国のシンボル「錦帯橋」 |
錦帯橋は岩国藩三3代藩吉川広嘉(ひろよし)がを創建し、五連のアーチが美しい木造橋で日本三大名橋のひとつに数えられる。橋の長さは、直線で193.3m、橋面にそって210m、、幅5m、高さ最高13mの壮大な橋だ。完成した翌年に一部が流され再建して以来276年間は、老朽による改修はあったものの、流出することはなかったという。2001年より行われた「平成の掛け替え」でも昔ながらの匠の技を駆使した組木技法が用いられ、清流「錦川」と城山をバックに美しい姿を見せていた。 |
錦帯橋 2012/09/13 |
<錦帯橋の特色 組木技法>
橋の下や河川敷きに立ち、下から橋を眺めると、精巧な錦帯橋の仕組みが観察できた。巻き金とカスガイを使用した「組み木の技法」が採用され、川の中に石組で橋脚を造り、川床に敷石を施すことで持久性と強度が増す構造になっていた。
<錦帯橋の特色 アーチ型>
幅約200mの錦川は一本の木で橋をかけることが困難なため石組みの橋脚を約35m間隔で設置し、木を組み合わせた五連アーチの形がとられていた。
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錦川の河川敷きに立つ頑丈な橋脚。アーチ型五連の錦帯橋 |
岩国城 |
山頂に立つ美しい岩国城 |
< 岩国城>
岩国城は1608年(慶長13年)に初代岩国藩主の吉川広家が錦川に囲まれた天然の要塞の地である標高約200mの横山の山頂に築城した。しかし江戸幕府の一国一城令により取り壊され、現在の天守は1962年(昭和37)に、外観復元された。四重六階の桃山風南蛮風造りで錦帯橋からもよく見えるように復元されたという。
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約350年の時を経て再建した岩国城 |
<岩国城天守展望台からの眺望>
ローププウエーを利用して岩国城へ。岩国城へは山頂駅から歩いて10分もかからなかった。天守は三層四階の桃山風南蛮造になっており、天守内には武具甲冑、書画等が展示されていた。天守閣展望所から眺める風景は絶景で眼下に錦帯橋と城下町を見下ろすことができた。 |
岩国城天守展望台から眺める錦帯橋 |
吉香公園 |
城下町巡り・見て歩記 |
桜の名所としても知られる吉香公園の広い園内には錦雲閣など、藩政時代を偲ばせる建造物がいくつも点在していた。 |
吉香公園(きっこうこうえん)は岩国城と錦帯橋を結ぶルート上にあり 岩国の観光スポットで、吉香公園岩国美術館、吉川資料館、吉香り神社、錦雲閣、佐々木 小次郎像などの歴史スポットが点在していた。吉香公園は錦帯橋の桜とともにさくら名所100選のひとつで春は、ソメイヨシノやヤエザクラ3000本が咲きそろい艶やかな眺めになるという。桜開花の時期にぜひ再訪したいものだ。 |
<錦雲閣>
吉香公園の堀に面して立つ「錦雲閣」 (きんうんかく) は1885年 (明治18年)旧岩国藩主吉川家の居館跡を公園として整備した際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂である。水面に映る姿は大変風情があり、まるで一幅の日本画を見るようだった。
2000年 (平成12年) 2月には岩国市の登録有形文化財に指定。
吉香公園内には錦雲閣を初め、岩国美術館、吉香神社、吉川史料館、佐々木小次郎像等の歴史スポットが点在していた。
今回、足をのばすことはなかったがシロヘビ観察所もおもしろそうなスポットだった。
<佐々木小次郎像>
吉香公園内の一角には岩国城を背景にして佐々木小次郎の銅像が建立されていた。佐々木小次郎の出生については不明で諸説あるが吉川英治の小説『宮本武蔵』では、周防国岩国(現山口県岩国市)の出身とされている。錦帯橋河川敷きには佐々木小次郎厳流ゆかりの柳もあり、たくさんの歴史スポットを楽しんだ。
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錦雲閣 |
武具の展示館として知られる岩国美術館 |
吉香神社の鳥居 |
岩国の名所・歴史スポット案内表示板 |
佐々木小次郎銅像案内標識板 |
佐々木小次郎銅像と背後に岩国城 |
樹木・名木散策 |
樹木・名木散策(旅行地で出合った元気な樹木や名木) |
旅のもう一つの楽しみ、樹木散策。
岩国は藩政時代に植えたと思われる古木が吉香神社そばのエンジュをはじめ武家屋敷跡のエノキ、クスノキ、イチョウ、ケヤキ等、歴史を感じさせる古木があちこち散在していた。吉香公園と錦帯橋の桜はさくら名所100選に選定
<吉香神社のエンジュ>
吉香神社そばのエンジュは山口県の天然記念物に指定されている。
<武家屋敷の古木)
武家屋敷内には藩政時代に植えたと思われるエノキ、ケヤキ、イチョウ、カイヅカイブキなどの古木が点在していた。
<山頂部の樹木>
山頂の岩国城一帯には照葉樹のカシやタブノキなどの巨木が見られた。
<岩国の桜>
吉香公園の桜と錦帯橋の桜はさくら名所100選に選定。桜開花の時期に是非再訪したいものだ。 |
吉香神社のエンジュ |
武家屋敷跡に残るエノキの古木 |
山頂部岩国城近くで見付けたツクバネガシの古木 |
錦帯橋近くの桜並木 |
歴史を語り継ぐ岩国の名木 |
歴史を伝える二つの古木 槍倒し松(やりこかしまつ)と巌流ゆかりの柳 |
錦帯橋を渡った河原の近くには槍倒し松(やりこかしまつ)、巌流ゆかりの柳が岩国の歴史を伝えていた。
< 槍倒し松(やりこかしまつ)>
説明板によると、この松は領内を通過する他大名が槍を立てたまま錦帯橋を通過するのを阻止するために植えられ、岩国武士の負けず嫌いな気質を象徴する松として伝えられる。
樹齢300年、樹高15mのこの松は錦帯橋の近くに植えられ、錦帯橋の美しさをひときわ際ださせていた。
<巌流ゆかりの柳>
小説の中で岩国に生まれた小次郎はこの辺りの柳とつばめを相手に努力を重ね、「つばめ返し」の術を編み出したと記されている。
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槍倒し松(やりこかしまつ)
この松は岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な槍倒し松です。昔諸国の大名が他藩の城下を通る際は行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのですが、大藩が小藩の城下を通る際は、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため岩国の武士たちはこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝の張った松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたものです。・・・途中略 現在の松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和四十三年(1968)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。樹齢三〇〇年 樹の高さ一四、五メートル 幹の周囲三、七メートル 樹冠の面積三二三平方メートル 昭和二十九年一月 岩国保勝会
(現地に立つ説明板より) |
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巌流ゆかりの柳
佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負にやぶれましたが、小次郎の「つばめ返し」の剣法は天下無双であったということです。吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を預かり、この辺りの柳とつばめを相手に一人で工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。・・・現地説明板より |
半月庵で 岩国寿司 |
郷土グルメ「岩国寿司」 |
旅の最後は
<半月庵で岩国寿司>
岩国の郷土料理といえば岩国寿司。半月庵は錦帯橋から歩いて5分の所にあり、宇野千代の小説「おはん」の宿でもあっった。岩国寿司を定食にした一番人気のメニューは「岩国寿司定食」。定番の具に加え、焼アナゴが入った寿司が特色で、評判通りの絶妙な味だった。
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岩国藩主・吉川公が保存や運搬に便利な食べ物を考案させたのが始まりとされる岩国寿司は別名「殿様寿司」とも呼ばれる。大きな木枠に酢飯と具を何層にも重ね定番の具は岩国レンコンや金糸卵などで10cm角ほどに切り分けて供される。 |
半月庵人気メニューの焼アナゴ入り「岩国寿司定食」 |
殿様寿司とも呼ばれる岩国寿司 |
<半月庵>
創業から140余年、宇野千代の小説「おはん」の舞台にもなった老舗で千代に関する様々な資料が展示してあった。創業は古く、明治二年に茶室としてはじまり、戦後は割烹旅館として長い間親しまれてきた旅館だという。しっとりとした門構えの中には改装された建物が、新しさを取り入れつつ格式と歴史はそのままに建っていた。 |
玄関に飾られた「おはん」の額 |
宇野千代の資料が館いっぱいに展示 |
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MY PRIVATE ショツト |
旅の最後は半月庵の岩国寿司で締めくくり。岩国寿司の味も店の雰囲気も最高だった。 「半月庵」で全行程修了。 二泊三日 広島・宮島のファミリー旅行「岩国」編でした。 |
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「半月庵」で全行程修了。 半月庵の門前で記念撮影 |
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