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本町八月踊り肝付町

踊り風景「法楽・鉦踊り」  踊り風景「八月踊り」
本町(ほんまち)八月踊りは、五穀豊穣、無病息災を祈願して踊られる肝付町の伝統芸能のひとつだ。旧暦の八月十八日に踊られていたが現在は、隔年9月第四土曜日に開催され、初秋の風物詩となっている。踊りに先立って水神祭(注1)が行われ、法楽(ふらく)が奉納される。法楽は鉦踊りとも称され、水神に豊作を感謝する行事として肝属平野一帯でよく見られる。法楽の神事は鉦(大小ふたつ)、太鼓二つで輪をつくって、腰に手をあて、歌をうたいながらゆるやかなテンポで足を太鼓に合わせて左右交互・前に動かして踊る。法楽奉納行事が終わるといよいよ八月踊りが始まる。男子は浴衣に黒の紋付羽織と菅笠(ジン笠)、女子は裾綿入れ裾模様の着物に、お高祖頭巾を被った独特な出で立ちだ(注2)。本町中央付近の道路上に櫓を組み、その上で太鼓、三味線、鼓弓が演奏され、曲に合わせて古老たちが踊り歌(五尺・一ッとの・お久米句読・思案橋・万次郎句読・おはら万女・平佐句読・船頭衆)をうたう。踊り手は櫓の周囲に輪をつくって踊る。踊りは、手首と指のリズミカルな動きに特徴がある。長い歴史を持つ本町の八月踊りは、昭和37年に鹿児島県の無形民俗文化財の指定を受け、現在、本町の八月踊りの保存会によって継承されている。    探訪日 2010年9月25日(土)

菅笠(ジン笠)やお高祖頭巾の出で立ちで踊られる八月踊り。手首と指のリズミカルな動きに特徴がある。

踊り風景 法楽(鉦踊り)
踊りに先立って水神祭が行われ、法楽(ふらく)が奉納される。法楽の神事は鉦(大小ふたつ)、太鼓二つで輪をつくって、腰に手をあて、歌をうたいながら足を太鼓に合わせて左右交互に前に動かして踊る。

町の両方の入り口にある二箇所の水神前で奉納される法楽鉦踊り

それぞれの場所に移動すろときは、鉦・太鼓で道楽の「トントン」を奏でながら移動する。

鉦と太鼓をたたいて歌いながら、ゆるやかなテンポで踊る。
踊り風景 八月踊り
太鼓、三味線、鼓弓の演奏に合わせて古老たちが踊り歌(五尺・一ッとの・お久米句読・思案橋・万次郎句読・おはら万女・平佐句読・船頭衆)をうたい、踊り手は櫓の周囲に輪をつくって踊る。

男子は浴衣に黒の紋付羽織、菅笠(ジン笠)の服装、女子は裾綿入れ裾模様の着物に、お高祖頭巾を被った出で立ちで踊られる。

頭部から顔を覆い端を長くしたお高祖頭巾と菅笠(ジン笠)

踊り手は小中学生から高齢者まで幅広い年齢層で踊られる。
踊りは、手首と指のリズミカルな動きに特徴がある。
踊りは櫓を囲みながら、太鼓、三味線、胡弓の演奏と踊りうたに合わせて踊られる。

太鼓、三味線、鼓弓の演奏風景 

(注1);水神祭り 水神に豊作を感謝する水神祭りは県内に広くみられるが、大隅側の平野一帯では、川や池のほとり、水田のかたわらに水神様(スジンサア)の石祠や石碑があり、それに水神の旗(色紙を切ってつないだ五色の紙旗)を細竹につないで立てる。それぞれのt地域によって歌や踊りにそれぞれ特徴がある。
(注2);保存会の資料によると、踊りの途中の休憩(ナカアガイ)以後は服装は一定せず、どんな服装をして踊ってもよく、顔に鍋墨(ヘグロ)をつけたり、破れ着物を着たり、踊りも滑稽な所作で演じられていたようである。菅笠(ジン笠)は戦後かぶるようになった。
(注3)八月踊りの起源については寛文11年(1671)、高山郷新富の用水路が完成したことを祝って水神祭の神事のあと踊られるようになったと伝えられる。


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