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流鏑馬(やぶさめ)肝付町(旧高山町)  

薄化粧し、色鮮やかな仮装束にあやい笠をまとい、疾走する馬上から、騎手の少年が的をめがけて矢を放つ古式豊かで勇壮な肝付町の流鏑馬(やぶさめ)。肝付町の四十九所(しじゅうくしょ)神社の流鏑馬は、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する神事として900年近い歴史と伝統を誇り、同町新富の宮之馬場で奉納される。祭りはまず町内パレードから始まる。露払いを先頭に、鎧武者、太刀持ち、的持ちなどの供ぞろいを従えて、町内をひとめぐりしてから四十九所神社に参拝する。神社で祝詞の奏上に次いで、「弓取り」の儀式が行われる。馬が走るのは、同神社から真一文字に伸びる宮之馬場という通りで、長さは330m。真砂で馬場が清められ、馬場ならしがすんだあとの本番では騎手が三カ所にたてられた板的をめがけて、疾走する馬上から矢を弓につがえ、次々に射る。馬場を3回駆け抜け、合計九本の矢を射り、当たった数で豊作を占う古式豊かな伝統行事である。馬場を駆け抜け、弓をひく度に沿道の大観衆から拍手喝采が沸き起こる。射手は町内の中学生二年生の男子から選ばれ、9月から練習がスタートする。流鏑馬と同時に開催される「やぶさめ祭」では、高山橋河川敷イベント広場・歩行者天国道路で、多彩なイベントが繰り広げられ、町内外から大勢の祭りを楽しむ人々でにぎわう。<鹿児島県無形民俗文化財   2008〜 最終更新日2016/10/16>


流鏑馬風景
  2016年度 流鏑馬風景 2016年10月16日
天候が心配された2016年度の流鏑馬でしたがなんとか天気が持ち直し、大勢の観客で賑わった。330mの馬場には三つの的が設けられ3回駆け抜けて矢を放ち五穀豊穣を占うが今年は最後の走りで二番的に一本命中して歓声が沸いた。 
   
 大勢の観客に見守られて雄馬「ハヤブサ号」入場
 
 鳥居の前で、馬を扇形に3回内入れしてからスタート

約330mの馬道三か所に設置された的をめがけて3回走り抜けて馬上から矢を放ち、当てた回数で五穀豊穣を占う流鏑馬。今年は3回目の走りで二番的に見事命中。スタートから一番的付近通過まで一瞬の走りを連写写真で振り返る。
3回目の走り<スタートから一番的>
 
@コマめ スタート

 Aコマ 疾走する騎馬と射手をとらえる。
 
B疾走する馬上から 鏑矢(かぶらや)が放たれたが一番的をはずす。
 
Cコマめ すぐ体勢を立て直し、二番的へ。
 
威風堂々、馬場を引き揚げる流鏑馬関係者に惜しみない拍手がおくられた。
 
今年の流鏑馬で使われた9本の的と大勢の観客
 2010年度 流鏑馬風景 2010年10月17日
約900年の歴史と伝統を誇る肝付町の流鏑馬が17日、肝付町新富の四十九所(しじゅうくしょ)神社前の宮の馬場で繰り広がられた。色鮮やかな狩衣装束の若武者が人馬一体となって疾走する馬上から弓を射る流鏑馬は国家安泰、悪疫退散、五穀豊穣を祈願して行われる。
約330mの宮の馬場を3回駆け抜けながら、3つの的に計9本の矢を放ち、当たった数で豊作を占うという流鏑馬。今年の射手は伊倉滉大君(高山中2年)、9本中7本を命中させ、大勢の見物客から大きな声援と拍手を浴びていた。
 
 
色鮮やかな狩衣装束姿で登場の射手

疾走する馬上から的をめがけて矢を射る勇壮な流鏑馬 

板的をめがけて、疾走する馬上から矢が放たれ、見事命中。

神馬の「高富士号」と一体となり、放たれた矢、9本中七本が命中。
ほんの少しで真ん中の的を支える竹を射抜く籠矢(こもりや)。馬が疾走し、矢が放たれる度に観客から大歓声と拍手が湧き起こる。

的命中の一瞬と歓声

2009年度 流鏑馬風景 2009年10月18日
威風堂々・古式ゆかしい873年の歴史と伝統を誇る流鏑馬祭り!

若馬・銀河号にまたがって威風堂々、やぶさめ武者行列パレード風景   場所は高山橋

祝詞奏上に次いで「弓取り」の儀式 

音楽隊を先頭に拍手で迎えられて登場 

威風堂々、若馬・銀河号にまたがって馬場をパレード

スタートする際には神社の鳥居の前で、馬を扇形に3回内入れし、人馬一斉に宮之馬場に飛び出す。

騎手は三カ所に立てられた的に疾走する馬上で矢を弓につがえ、3度走り、合計9本の矢を射る。当たった数で豊作を占う。
 
2尺「約60センチ角」の杉板の的に見事に命中。板的に命中すると、拍手と大歓声が沸き起こる。
2008年度 流鏑馬風景 2008年10月19日

色鮮やかな狩装束(かりしょうぞく)姿で、疾走する馬上から的をめがけて矢を射る勇壮な流鏑馬。2008年度は、九本中八本を命中させ、うち一本は真ん中の的を支える竹を射抜く籠矢(こもりや)で高い的中率となった。

流鏑馬がおこなわれる四十九所神社前の宮之馬場

鎧武者、太刀持ち、的持ちなどを従えて町内を武者行列パレード、その後四十九所神社で祝詞奏上や神官から弓を受け取る「弓取り」の儀式などが行われる。

四十九神社から真一文字に伸びる330mの馬場。馬場は二日前の柏原海岸での汐がけの神事で使用した真砂で清められる

息を飲んで本番の疾走を待つ観客。本番前になると境内・鳥居周辺、馬場は大観衆で埋まる。

的をめがけ疾走する馬上から矢を射る。矢が的に当たる度に、馬場沿道から拍手と歓声が沸き起こる。
9本中、8本が命中。内1本は真ん中の的を支える竹を射抜く縁起のいい籠矢(こもりや)だった。

大役を果たした神馬の「銀河号」射手も馬もごくろうさまでした。

やぶさめ祭り

「流鏑馬」に合わせて同町では高山やぶさめ祭実行委員会による「やぶさめ祭」が開催され、大勢の人出でにぎわう。

河川敷のイベント広場では午前中を中心に各種のイベントが開催され、にぎわう。

河川敷広場でのイベント風景

大行列ができた内之浦「えっがね祭り」コーナー

イベント広場の高山橋下や河川敷は祭りを楽しむ大勢の人出でにぎわう。

町の中心地の道路は終日、歩行者天国となり、祭り一色にぬりつぶされる。

出店の店頭に並べられためずらしい民芸風わら人形の「やぶさめ馬っこ」

PS;○流鏑馬は、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを言う。流鏑馬(やぶさめ)の語源は「矢馳せ馬」、を馳せながらを射ることから矢馳せ馬(やばせうま)といわれ、時代とともに、「やぶさめ」と呼ばれるようになった。
○肝付町四十九所神社の流鏑馬は、肝付氏の祖・伴兼行が旧高山町に居住した長元9年(1036年)の約100年後に始まったという。徳川時代に一時すたれたが、八代将軍吉宗の時代に再興され、明治維新時に再び絶えた。明治20年に再び復活、太平洋戦争時に中断されたが、1958年(昭和33年)に復活。現在、流鏑馬保存会によって継承。1981年(昭和56)県無形民俗文化財に指定。
○流鏑馬は旧暦9月、南九州各地で行われる収穫感謝祭のひとつでもあり、神社境内では甘酒が振る舞われ、露店では甘酒や甘酒つくりに必要な麹が販売される。
(注)流鏑馬のことを町内や近隣の人々から「ヤッサン」と呼ばれ、親しまれている。

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