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知覧麓の武家屋敷南九州市知覧町

歴史の息吹を伝える薩摩の小京都 知覧の庭園
知覧は「薩摩の小京都」といわれ、生け垣と石垣が美しい武家屋敷が今も残っている。武家屋敷群の18.6haが昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、7庭園は国の「名勝」に指定されている。県内では鹿児島市の仙巌園(磯庭園)に続いて2番目の指定。
地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當(魔よけの石碑)や、屋敷入り口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)がある。他の地域の武家屋敷の石垣は野石乱積みが多いが知覧の石垣はきれいな切石整層積みが中心で石垣の上の見事な生け垣と共に清潔感あふれる風景をつくっている。名勝に指定された7つの庭園の中で森氏庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっている。
国選定「知覧重要伝統的建造物群保存地区」
国指定「名勝庭園」
『美しい日本の歴史的風土100選』(平成19年3月2日)
建設省日本の道100
小路の両側には立派な武家屋敷群が続き、長い歴史を感じさせてくれる景観である

名勝指定の7庭園

西郷恵一郎氏庭園

知覧郷地頭仮屋跡に隣接する208平方メートルの庭園。作庭年代は江戸時代後期(文化文政年間1804〜1829)。様式は大刈込式蓮菜石組枯山水。
庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現し軽快な美しさを演出している。また鶴亀の庭園といわれ、一変して高い石組みは鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶがごとく配され、石とさつきの組み合わせは至妙である。
 
西郷恵一郎氏邸門 
門をくぐると正面に石組みの壁があり、左へ折れてまた石壁にぶつかる。このような折れ曲がった木戸は、城郭の枡形に由来するといわれている。
西郷恵一郎氏庭園

佐多直忠氏庭園

作庭年代は江戸時代中期、寛保年間(1741〜1743)。面積は275平方メートル。様式は大刈込式蓮菜石組枯山水。
江戸時代中期の武家屋敷の風格を備えている。庭園は主屋の北にあり、母ヶ丘を望む庭の一隅に築山を設けて、その中心部に3.5mの立石がそびえ、下部には、多数の石組みを配して枯滝としている。何か大陸的で一幅の水墨画をそのままに現した名園である。

佐多直忠氏庭園
 
築山に立つ3.5mの石と枯滝の石組が微妙な趣を呈し、全体的に水墨画のような印象がある。

佐多美舟氏庭園

作庭年代は江戸時代中期、宝暦年間(1751〜1763)。面積は446平方メートルで知覧庭園の中では最も、豪華で広い庭園である。様式は大刈込式蓮菜石組枯山水。
屋敷の入口には袖屋根を持つ立派な門が残されている。知覧麓では袖屋根を持つ門はそれが本家であることを表している。枯滝を造り、築山の上部に石灯、下部の平地には、各所に巨岩による石組を設けている。門を入って右に折れて書院の前に出ると、本庭の主力の滝を中心とした石組みは、えんえんと流れ、訪れた人々に力強さと広さを感じさせる。

佐多美舟氏庭園

佐多民子氏庭園

作庭年代は江戸時代中期寛保から宝暦年間(1741〜1763)。面積不祥。様式は大刈込式蓮菜石組枯山水。
巨石奇岩を積み重ねた深山幽谷の景をうつしだしている。敷地の北西隅に立石の枯瀧が組まれ、書院から枯瀧へ向かって飛び石が配置してある。麓川の上流から運んだ庭石は、凝灰岩質のもので、巨岩のため石目にそって割り、牛馬で運びやすくしたものである。
この佐多家は、前の美舟氏の分家にあたる。

佐多民子氏庭園

平山亮一氏庭園

作庭年代は江戸時代中期(天明元年1781)、書院は嘉永年間(184854年)に再興された。面積は277平方メートル。様式は大刈込式蓮菜石組枯山水。
石組みの一つもない大刈込み一式の庭園で母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景園である。
イヌマキによる延々たる遠山は、その中に三つの高い峯を見せ、前面にはサツキの大刈込みが築山を表現して、2段構えの構図に仕立ててある。刈り込みの前には琉球庭園に見られる盆栽を乗せるための切石がある。

平山亮一氏庭園

平山克己氏庭園

作庭年代は江戸時代中期(明和年間1764〜1771)。面積は277平方メートル。様式は 大刈込式蓮菜石組枯山水。
通りから門をくぐって屋敷内へ階段を上るようにして入る。道路面よりどの庭園も地表面が高くなっているがこれは敷地を盛り土したのではなく、道路を削って造ったため庭園敷地面が高くなったといわれている。母ケ岳の優雅な姿をとり入れた借景園で北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキの生垣は母ケ岳の分脈をかたどっている。

平山克己氏邸門

平山克己氏庭園

森重堅氏庭園

作庭年代は江戸時代中期寛保年間(1741〜1743)。面積は本庭198平方メートル、池泉25平方メートル。様式は築山泉水式庭園。寛保元年(1741年)に母屋が建てられ、庭園はその後整えられた。
池や流れる水が美しい唯一の池泉式庭園で曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴している。庭園入口の右側にある石は、庭園の要をなし、雲の上の遠山を現している。庭園裏から水が湧き出し、どんな干ばつの年でも枯れたことがないと伝えられている。

知覧型二ツ家

知覧型二ツ家は主屋と付属屋(「おもて」と「なかえ」)をつなげて、そこに小さな棟を付けている家をいい、知覧独特の民家であり現在武家屋敷群の中に2棟移築されている。



現地案内板より