松山城址志布志市松山町
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松山城は文治4年(1188年)平清盛の弟、頼盛の孫である重頼(しげより)が松山に来て築いた山城だとされる。城が築かれた後、4年経った建久3年(1192年)に源頼朝が鎌倉幕府を開いたがこのような時代に城を築いた重盛がいつ頃まで松山を治めたかは不明だ。その後、戦国時代になると島津氏や肝付氏などの勢力争いの戦乱に巻き込まれ何度か落城し、最終的には島津氏の直轄地となり、島津家の家臣が地頭となり松山を治めた。松山城は本丸、二の丸、五兵衛城(、八幡城の四つに分かれているが、現在そのままの状態で残っているのは二の丸部分だけで松山城本丸址が運動公園の体育館である。松山城址の本丸、八幡城址を中心に14.8haの敷地が造成されてつくられた城山総合公園には、陸上競技場・体育館・テニスコート・児童広場・プール・多目的広場・自由広場等がある。松山城址展望所からの景観はすばらしく、天気の良い日、展望台からは霧島連山と桜島が一望できる景勝の地にある。桜の季節には近郊より花見客でにぎわう。 更新日2015.03.05 |
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松山城址散策 |
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松山城、二の丸址案内標柱。 空堀址を通って二の丸跡展望台へ |
二の丸址城郭風の展望施設 |
展望台から本丸跡体育館方向 |
本丸址の体育館・陸上グランド |
公園広場から二の丸址遠景 |
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松尾川「恵の橋」より高台の二の丸址遠望 |
二の丸が「松山城址」で本丸と八幡城を中心に陸上競技場・体育館など城山総合公園となっている。 |
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松山城址公園桜風景 |
ソメイヨシノとヤエザクラなど約1000本,夜はライトアップされる。 |
満開の桜と松山城址展望所風景 |
松山城跡公園展望台一帯の桜風景。桜開花時期はライトアップされる。 |
展望台からの眺め、天気によっては霧島連山や桜島が眺望できる。 |
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