観音淵は地下水が長い年月をかけて造り出した天然の洞窟で、高さ8メートル、幅16メートル、奥行30メートルもあり、洞窟の中には、鎌倉時代初期から戦国時代までの供養塔が約90基ある。洞窟入口から見て右側の供養塔は、鎌倉初期にこの地方の開田作業を進めた富山一族の長谷三郎太夫義遠(はせさぶろうだゆうよしとお)一族及び、家臣団の逆修供養塔(ぎゃくしゅうくようとう)と見られる。左側の供養塔は肝付氏のもので、ともに鎌倉初期から富山氏と競って開田作業を進めたものと思われる。逆修供養塔とは、土地開発等の大事業や戦乱、または個人の意志により死後の安楽、極楽往生を願って生存中に建立する供養塔をいう。この観音淵中世古石塔群(かんのんぶちちゅうせいこせきとうぐん)は鹿屋市の指定史跡になっている(昭和56年8月19日指定)。観音淵洞窟から染み出る湧き水は名水として知られ、水汲みに来る人が多い。 最終探訪日/更新日 2014/05/09 |