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江ノ島と公卿石    最終探訪 2013年12月04日  

江ノ島と公卿石(垂水市)

江ノ島は垂水市海潟の200mの沖の鹿児島湾に浮かぶ周囲1km,最高点63mの無人島である。桜島の雄姿を背景にした景勝地で、かつての昭和30年・40年代の高度成長期にはキャンプ場となっており、対岸の海潟温泉とともに観光客で賑わっていた。江ノ島を望む和光保育園裏手に江ノ島の名の由来となった「公卿石」が文化財として保存されている。江ノ島は元は弁天島と呼ばれていたが今から420年前(1593年頃)前に近衛関白信輔(のぶすけ)公が荘園巡視したとき、この地を訪れこの絶景を見て「桜島は冨士の山を望むがごとく弁天島は鎌倉の江の島に似たり」と絶賛したという。それから弁天島を江ノ島と呼ぶようになったが、そのとき信輔公が腰掛けて眺めた石がこの「公卿石」だと伝えられる。、は「公卿石(くげいし)」とよばれている。
 
江の島全景。桜島を背景に、入江の静かな海岸線と江ノ島を望む。
 
江ノ島を背景に公卿石と案内標柱
 
近衛信輔は、この石に腰掛けて桜島と江ノ島の風景を絶賛したという。
 
江ノ島と桜島の雄姿。近衛信輔がこの絶景を見て「桜島は冨士の山を望むがごとく弁天島は鎌倉の江の島に似たり」と絶賛したのもうなずける。
 過去の江ノ島探訪
久しぶりに海潟・江ノ島を探訪した。前回探訪時には案内標柱と公卿石は藪に隠れて探すのが大変だったが今回探訪時にはきれいに整備されていた。
 2008年10月22日探訪時の史跡風景<案内板と標柱、公卿石が藪の中に隠れていた。>

竹藪と雑草に覆われた案内板を発見

案内柱と「公卿石」案内柱と「公卿石」

雑草を取り除き、全容を現した「公卿石」」

 備考:近衛信輔(1565〜1614年)は、安土桃山時代の公家で近衛前久(さきひさ)の嫡男として誕生。元服した際に織田信長から一字を貰い信基(のぶもと)と名乗り、のちに、信尹(のぶただ)、信輔と称し、号を三貎院(さんみゃくいん)ともいう。文禄3(1594)年に豊臣秀吉と対立して坊津に配流され、二年ほどして許され、帰る途中にここに立ち寄ったという。当時下大隅(垂水)は近衛家の荘園だった関係で島津と近衛家は近い関係にあった。
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