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歴史探訪記 |
鹿児島県曽於市末吉南之郷 |
平松城址とは |
曽於末吉の平松城は大淀川上流左岸の最高地海抜216mにあり、主体部である頂上中部の主たる曲輪を、切岸、土塁、周囲の曲輪で擁護し、多重の空堀群が特徴の山城だ。現地案内板によると『住吉山麓に当たる国合原のシラス台地が、東北方向に延びた突端に平松城跡がある。崖下に大淀川が西流し、両岸には谷水田が形成され、北側には橋野の集落が広がり道路が都城方面に続く。この平松城は、志布志方面に備える北郷氏の築城とされるが、別説(肝付氏の築城)もある。平松城周辺で、かつて大きな戦いが二回起きている。一回目は、、正平の戦い(1359年)で島津対相良の間で争われた。島津軍は利なく退いている。二回目は、天正の戦い(1573年)で北郷(都城)対肝付(高山)の間で争われ、肝付軍は大敗し、これ以降勢力が衰えて島津氏に仕えることになる。近くの借屋地区に、天正の戦いで戦死した、肝付竹友の墓もある』。天正の戦いで肝付勢は肝付竹友と430人を失い、これ以降、肝付家の勢力が衰えていく転機となったとすれば、この平松城の持つ意味は大きく、大隅の歴史をひもとく上でも貴重な城だ。なお当城は、橋の連合会という地域の有志グループが城の整備と復元に積極的に係わり、現在、注目されている城だ。尚、鹿児島県姶良市平松にも同名の城址がある(現重富小学校)。
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平松城曲輪址を目指す |
平松城址案内看板と縄張図 |
曽於市に於いて大隅町恒吉の恒吉城が有名であるが平松城はそれに次ぐ山城として近年注目を集めている。地域関係者の努力により、山城としての保存状態も良く、城道もよく整備されていた。 |
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山城を歩く |
案内看板と平松城縄張図(現地案内板より) |
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多重の空堀 |
きれいに整備された城道 |
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本曲輪
史跡公園 |
平松城の特徴である多重の空堀 |
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10分程で目的地、本曲輪へ。橋野連合会の尽力により、曲輪は広場に整備され、大淀川を眼下に見晴らしのよい公園になっていた。 |
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平松城 近景と遠景 |
平松城近景 |
平松城近景 |
平松城遠景 |
平松城遠景<搦め手道入り口から> |
平松城大曲輪跡 |
平松城大曲輪跡の現在 |
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歴史講演会 |
歴史講演会 |
平松城見学会に先立ち、当日のメイン行事である南峰文化研究会主催による歴史講演会があり、聴講させていただきました。演題は「曽於地方の中世山城」、講師は「三木靖氏」、テーマは「古城に思いを馳せて」。 |
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歴史講演会
感想 |
歴史講演会 ~曽於地方の中世山城~
三木靖先生の講演会資料の最後のことば「・・・古城は、私たちの先人が生み出した歴史的資産であり、地域の歴史を味わう貴重な手がかりであるから、古城を地域の歴史、ひいてはわが国の歴史を味わう手がかりとして活用・・・・」のことばが今も心の奥に印象深く残っています。手元にある「南峰第3号」は、島津荘など歴史をひもどく貴重な資料として重宝しています。第4号の発刊が楽しみです。歴史講演会の後、平松城の見学会をセットしていただき、貴重な体験をさせていただきました。三木先生をはじめ、関係者皆様に重ねてお礼申し上げます。歴史講演会日(2015/02/21)
サイトアップ日(2015/03/01)
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