わらべ歌偏 ふるさと音楽館へ |
ことしのつばな |
まだ、今のように車が多くなく、まわりの山や川も自然そのままのころ、3月から4月にかけて、道ばたや川原の堤防に自生している、つばなをつんで中の白い新芽を食べながらあそぶこどもがおおいでした。両手ににぎれないぐらいたくさんつんでいました。つみおわると、道路のまん中や川原、庭先などで、男女をとわず、暗くなるまで元気いっぱいあそんでいました。 |
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「今年のつばな」の歌
今年のつばなはよくできた つんだほがよかろか 植えた方がよかろか みみなしゃ スッポンポン みみなしゃ スッポンポン
鬼「あたいも かたっしや−い1
子「いやおー」
鬼「ないごてなアー」
子「鬼にないやい かたすっで」
鬼「だいかさんがおかずは へびおかず1
子「あたいなアー」
鬼「いいやあ」
子「あたいなアー」
鬼「は−い1
<遊び方> 1,「かごめかごめ」のあそびかたの方法で、手をつないで円をつくりおにをかこみます。 2,おには円の中心にしゃがみ、りょうてで目をかくします。 3,こどもたちは、手をつなぎ「ことしのつばな」をうたいながらまわります。 4,おにとこどもたちの問答がはじまり、さいごにおにの「はーい」でこどもたちは円をくずしてにげます。 5,おににつかまったこどもが次のおにになります。 ○この動作をくりかえしてあそびます |
じさんばあさん |
※このうたには、子どもたちのおじいさん、おばあさんに対するやさしい思いやりの気持ちがこめられています。かごしまのわらべうたなのに歌詞の中に「長崎」「島原」が出てきますが、昭和2年、鹿児島本線が開通するまでは鹿児島の生活文化はすべて長崎から運ばれていました。このころの子どもたちは、地方を回り歩く薬売りおじさんから流行歌(はやりうた)やわらべうたを教えてもらうことが多かったようです。
方言考:べんべんしばい(弁天芝居)、あれこ(洗粉)、びんつけ(鬢付油)・・・などのことばから当時の生活の様子がしのばれます。「トンコ」とは少女への愛称、「グイガメ」は人名。 |
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「爺さん婆さん」
爺さん婆さん 長ご生きやい
米もやすなろ 世も良なろ
弁天芝居も またござろ カヨーカヨ
カヨは流行らぬ 長崎流行る
長崎の嫁女は トンコ嫁女
トンコちゃん トンコちゃん
トンコちゃんな 上いやる
グイガメさんな 泣っきゃる
明けて三月ゃ 化粧みやげ
化粧は一石 洗粉は二石
しろいびんづけを 流らせて
長崎いこうか 島原しょうか
どこも日が照る 雲の下
これで一貫かせました ナーハイハイ |
お月さんいくつ |
全国各地で歌われてきたわらべ歌だが鹿児島では,なわとび歌や手まり歌として歌われてきました。「十三七つ」、「油を買いに行った」等は全国で歌われるうたの内容によくにています。この歌詞は、「おつかいに頼まれた子どもが両親にほめてもらおうとして失敗する。それを見ていたお月さんにお金を一厘あげるから両親には黙っていてほしい。」という意味の内容です。
「とって」とは「お父さん」、「かっけ」とは「お母さん」の意味。 |
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