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鹿屋市鉄道記念館鹿屋市

大隅線鹿屋駅跡地のそばに大隅の交通の歴史を偲ばせる鹿屋市鉄道記念館がある。1915(大正4)年から72年にわたって活躍した大隅線(注)は1987年(昭和62年)3月に廃止された。その駅舎近く跡地に大隅線の歴史を今に伝える目的で「鉄道記念館」が建つ。記念館敷地には、国鉄キハ20形系の気動車(デイーゼルカーや駅名表示板が保存されている。館内にはかっての大隅線の歴史を物語る資料や鉄道の歴史を学べるたくさんの資料が展示されている。鹿屋市鉄道記念館は現在、鹿屋市鉄道記念館指定管理者「NPO法人大隅21世紀スポーツクラブ」(090−7294−7298)が管理運営している。最終更新 2022年9月13日
鉄道記念館 記念館資料 なつかしの大隅線(動画)
鉄道記念館

鹿屋市役所と地続きの一角に、「鉄道記念館」が建つ。


鉄道記念館敷地に展示されている保線用車両と各駅表示板

鉄道記念館シンボルの国鉄キハ20形系の気動車(デイーゼルカー)。手入れが行き届いた状態で保存されている。

鉄道記念館の踏切り信号機・ポイント切り替え施設。後方建物は鹿屋市役所

線路跡地は自転車歩行者専用道路となり、市民の健康作りや散歩コースとして活用されている。
鉄道記念館内風景と関連資料
駅舎風の木造建物内には、かっての大隅線の歴史を物語るたくさんの資料が保存・展示されている。

入館してすぐ目につくのが大隅線廃止に伴う資料だ。当時の旅客運賃表や時刻表等、貴重な資料が展示されている。

当時の古江駅からの旅客運賃表

当時の大隅野里駅列車時刻表と旅客運賃表
館内いたるところに大隅線にまつわる資料や車両関係に関する資料が展示されている。
なつかしいSL列車風景、館内展示資料より
なつかしの大隅線風景
大隅線車窓から
廃止になった旧国鉄大隅線の各駅停車案内の車内アナウンスと車窓からの風景です
家庭用ビデオで撮影したなつかしい映像をご覧ください。投稿日2011年1月。撮影日1987年(昭和62年3月)

さよなら大隅線 車掌アナウンス



大隅線駅舎

当時の大隅線デイーゼル車
大隅線廃止時の駅舎とデイーゼル車
(注)大隅線とは曽於郡志布志町(現・志布志市)志布志駅から国分市(現・霧島市)の国分駅に至る98.3kmを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。大隅線の歴史は、1915年(大正4年)7月鹿屋・高須間に軌間762mmの南隅軽便鉄道(大隅鉄道)が開通。次いで1920年(大正9年)鹿屋・高山間、翌年高山・串良間、1923年(大正12年)高須・古江間が開通。1935年(昭和10年)6月、鉄道省が買収し、国有化されて国有鉄道古江線(ふるえせん)となった。同年10月には串良・志布志間が開通した。しかし前者と軌道幅が異なり、直接運転ができず乗り換え、積み替えしていた。東串良以東を古江東線、他を古江西線と呼んだ。1938年(昭和13年)10月、国鉄の標準軌条となり、両線をまとめ古江線と称する。1961年(昭和36年)古江・海潟間、1972年(昭和47年)、海潟・国分間が開通し全線開通となり名称を大隅線と改称した。1984年に第2次特定地方交通線に認定。全線開通後15年を経ずして、1987年に廃止となった。      


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